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1995年の大瀧詠一(その7)


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先日見つけたYouTubeのこの音源。



1995年4月に大瀧さんが渡辺満里奈さんのラジオ番組に出演したときのもの。大瀧さんはとっても照れ屋なので相手が女性だと話がぎくしゃくすることが多いのですが、びっくりするほど会話が弾んでいます。大瀧さん独特のボケにも満里奈さんは見事に突っ込んでいます。

この放送では当然のことながら「うれしい予感」の話が出てきます。興味深かったのは満里奈さんのこの言葉。
「(曲は)最初に作られていて、私はあとは歌うだけっていう感じでした」

1995年の新春放談で大瀧さんは「うれしい予感」と「針切りじいさんのロケン・ロール」についてこんなことを語っていました。
「今回、両A面とも歌手が一番最後に決まるっていう異常なあれだったんですよ、ホントに。すべてのものがいろいろあって歌手が最後に乗っかってしまうっていうことだったんですけども」

というわけで、前にも書いたように、「うれしい予感」を渡辺満里奈さんが歌うことに決まったのは、すべて曲ができあがった後だったようです。場合によっては大瀧さん自身によって歌われる可能性もあったのかなと思いつつ(きっとあったはず)、でも、曲は女性に歌われることを考えて女性キーで作られています。

さて、さきほどの音源に、満里奈さんに決まったいきさつとかが語られていればよかったのですが、残念ながらそのあたりの話はありませんでした。
考えうる一番高い可能性としては、1988年から数年間、大瀧さん、達郎さんとともに新春放談に加わっていた音楽評論家の萩原健太さんが満里奈さんのことを大瀧さんに紹介したのではないかなと。当時大瀧さんは萩原健太さんとその奥さんでやはり音楽評論家の能地祐子と深く交流していて、特に能地さんはアイドルにも詳しかったので、大瀧さんにいろんな情報を伝えていたのではないかと思います。

改めて考えてみると、1994年当時、時代は小室哲哉一色。小室哲哉プロデュースと名をつけて、そこそこ踊れて歌える女の子であれば売れるという時代。歌っていた女の子たちは自分たちのことをアイドルではなくアーティストとよばれたがっていたようです。アイドルの時代は終わってたんですね。
で、プロデューサーという言葉がもてはやされるようになったのもこの頃。でも、きっと、ただ、”小室哲哉プロデュース”という名前だけを貸していたのもいっぱいあったはず。その20年以上から、まだ当時音楽業界ではめずらしかったプロデューサーということをしていた大瀧さんにとっては、プロデューサーブームは見ていられなかったでしょうね。満里奈さんのラジオ番組で大瀧さんが本来プロデューサーというのはどういう仕事をするのかということをずいぶん詳しく語っていたのは、そうした当時の風潮への批判の気持ちもあったはず。
いじれにしても、歌手も、あるいは歌手が所属している会社の人も、小室さんに曲を書いてもらおう、小室さんにプロデュース(?)してもらおうという時代でした。

さて、渡辺満里奈さんは1994年には24歳。元おニャン子クラブではありましたが、アイドルという歳ではありません。
ウィキペディアを見ると、おニャン子解散後の彼女についてこんなことを書いています。
おニャン子クラブ解散後も歌手としてアイドル番組やバラエティーなどに出演。当初はアイドルとして、事務所の意向に沿った衣装や楽曲で出演していたが、徐々に自らの意見を加味して、自分の個性に合った曲や衣装などを表現するようになっていく。当時好んで聴いていた渋谷系の楽曲を歌番組で披露するなど、アーティスト志向である意思を垣間見せることがあった。

というわけで、彼女も当時の若い女性歌手と同様に、アイドルとは一線を画してアーティストとしての道を歩んでいました。ただし、彼女が選んでいたのは渋谷系とかの音楽。僕も大瀧さんが曲を作らなくなってから、渋谷系と呼ばれることになる音楽を好んで聴いていたので、満里奈さんがそのあたりの人と関わりを持っていたことは知っていました。
「うれしい予感」の前には渋谷系を代表するフリッパーズ・ギターの小沢健二に曲を書いてもらったりしていますね。で、渋谷系の人たちははっぴいえんどの音楽に影響されていた人も多く、そのあたりの影響なのか満里奈さんはこの時期、大瀧さんのファースト・アルバムに収録された「それはぼくぢゃないよ」をライブで歌っていたようです。なんともマニアック!

そういうのを健太さんや能地さんからいろいろ聞いているうちに、大瀧さんは満里奈さんに興味を抱いたんだろうと思います。で、そういう縁のきっかけになったからこそ、大瀧さんがプロデュースした満里奈さんのアルバム『Ting-a-Bell』の1曲目に能地祐子作詞、萩原健太作曲の曲が収められることになったと。

縁といえば、大瀧さんがだれに歌ってもらおうかと考えていたときに、渡辺満里奈さんの名前が出てきて、その「満里奈」という名前におっと思うものがあったのではないでしょうか。
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by hinaseno | 2015-08-25 14:17 | ナイアガラ | Comments(0)