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by hinaseno
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高峰秀子、三井弘次を語る


加東大介の話が続いたので今日は三井弘次の話。
この日紹介したインタビュー記事で、三井弘次は与太者シリーズの映画に出ていたときに、小津に認められて小津の映画に出るようになったと語っていました。
与太者シリーズは昭和6(1931)年から昭和10(1935)年にかけて10回も続いています。一応作品を並べてみます。
①令嬢と与太者(1931年)
②初恋と与太者(1932年)
③与太者と縁談(1932年)
④戦争と与太者(1932年)
⑤与太者と芸者(1933年)
⑥与太者と海水浴 (1933年)
⑦女学生と与太者(1933年)
⑧与太者と脚線美(1933年)
⑨与太者と花嫁 (1934年)
⑩与太者と小町娘(1935年)

このシリーズの「与太者と海水浴」に、当時9歳だった高峰秀子さんが出演されていました。しかも男の子役。高峰さんは子役の頃、かなりたくさんの映画で男の子役を演じていたんですね。ここで「与太者と海水浴」のいくつかのシーンを見ることができます。学生服を着て男の子の役を演じている高峰さんや与太者の一人である三井弘次の写真を見ることができます。

高峰秀子さんの『わたしの渡世日記』では、この「与太者と海水浴」と三井弘次の話が少し出てきます。ちなみにこのとき三井弘次は23歳。
「与太者と海水浴」は、それまでの女優路線一辺倒の蒲田調には珍しく、若者三人組の喜劇シリーズであり、三人組の一人は、現在もなお独特な芸風で活躍中の三井弘次であった。今から四十余年の昔、「与太者と海水浴」の宣伝スチールを撮るために、私は「写場」へ行って三人の若者と初対面をしたが、なぜか小柄で目つき鋭く、いなせな、というより一癖ありげな若者、三井弘次だけが私の印象に残った。
「今までの松竹の俳優にはなかったタイプの人」だと、子供心にも感じたのだろうか? 以来、四十年余り、私は執念深く三井弘次をみつめ続けたが、彼が歩、一歩と独特の個性を生かして「いぶし銀」のような演技者になってゆくのが、他人ごととは思えないほどうれしかった。彼の演技に接するたびに、私は「先見の明があった」と得意になっている。彼と私は、その後も何本かの映画で共演したが、それとこれとは全く無関係で、私は彼の一ファンであり、彼の演技を見ることが楽しいのである。

正直言えば、小学校3、4年の女の子であれば、いや、女性であれば、嫌悪感を抱かれても仕方がないような人なのに、 三井弘次という役者に目を留め、その後も「執念深く」「みつめ続け」たということに高峰秀子という人の独特の感性を改めて思い知りました。
by hinaseno | 2015-07-17 12:25 | 映画 | Comments(0)