東京を舞台にした昔の日本映画を見る楽しみの一つは、今はもう失われてしまった懐かしい風景が見られること。
なんて言葉は川本三郎さんの本の中にきっとあったはずですが、本当にそうですね。もちろん、僕が感じる懐かしさは、失われる前の風景を知っている人たちが感じるものとは違っていますが、その懐かしさを求めて風景ばかりを見ています。
存亜風景の中で最も心がときめくのは、隅田川(にかかる橋)と荒川放水路、それから路面電車の走る風景。小津や成瀬の映画にはいくつもそれら風景がとらえられています。
昔の東京の地図を眺めながら映画を何度も見返すうちに、最初の頃は全くわからなかった場所が特定できるようになってきました。もちろん川本さんの本をはじめ、いろんな人の書かれているもので何度も読んでいるはずですが、やはり自分で確認してみて、「知った」という状態になれます。
さて、先日見た小津の『風の中の牝鶏』(昭和23年)にも隅田川のかかる橋をとらえた風景が出てきました。こういうのはネットを見ればすぐにわかることですが、そういうのに頼らないで自分の手元にある地図といくつかの写真を頼りに橋を特定する方が愉しいですね。でも、特定した後ですぐに忘れてしまってはもったいないので、自分なりのメモのつもりで映画の場面の写真を貼っておこうと思います。
『風の中の牝鶏』にとらえられた隅田川の橋は二つ。相生橋と勝鬨橋。いずれも隅田川下流の河口付近にある月島にかかる橋。一応、昭和22年の地図を貼っておきます。
最初に映るのは相生橋。佐野周二が月島に行くために歩いてこの橋を渡ります。
かなり長い橋だなと思ったら、途中で路面電車が通り過ぎるシーンが映ります。これだけ長いのならば路面電車に乗ればいいのにと思ってしまいます。
それからこれが勝鬨橋。
佐野周二が座っているのは勝鬨橋から少し南の月島の河岸。勝鬨橋をバックに三井弘次が客となっている宿で娼婦として働いている女性と佐野周二がかなり長い話をします。ところで勝鬨橋は大きな船が通るときには橋が開く開閉橋ですが、残念ながら開くところは映りませんでした。
勝鬨橋といえば、松本隆さんの『微熱少年』で、主人公の少年が橋が開いたときに車で飛び越えたのがまさにこの勝鬨橋だったとのこと。昔読んだときには勝鬨橋どころか隅田川すら知りませんでした。また、読み返してみます。
なんて言葉は川本三郎さんの本の中にきっとあったはずですが、本当にそうですね。もちろん、僕が感じる懐かしさは、失われる前の風景を知っている人たちが感じるものとは違っていますが、その懐かしさを求めて風景ばかりを見ています。
存亜風景の中で最も心がときめくのは、隅田川(にかかる橋)と荒川放水路、それから路面電車の走る風景。小津や成瀬の映画にはいくつもそれら風景がとらえられています。
昔の東京の地図を眺めながら映画を何度も見返すうちに、最初の頃は全くわからなかった場所が特定できるようになってきました。もちろん川本さんの本をはじめ、いろんな人の書かれているもので何度も読んでいるはずですが、やはり自分で確認してみて、「知った」という状態になれます。
さて、先日見た小津の『風の中の牝鶏』(昭和23年)にも隅田川のかかる橋をとらえた風景が出てきました。こういうのはネットを見ればすぐにわかることですが、そういうのに頼らないで自分の手元にある地図といくつかの写真を頼りに橋を特定する方が愉しいですね。でも、特定した後ですぐに忘れてしまってはもったいないので、自分なりのメモのつもりで映画の場面の写真を貼っておこうと思います。
『風の中の牝鶏』にとらえられた隅田川の橋は二つ。相生橋と勝鬨橋。いずれも隅田川下流の河口付近にある月島にかかる橋。一応、昭和22年の地図を貼っておきます。
最初に映るのは相生橋。佐野周二が月島に行くために歩いてこの橋を渡ります。
かなり長い橋だなと思ったら、途中で路面電車が通り過ぎるシーンが映ります。これだけ長いのならば路面電車に乗ればいいのにと思ってしまいます。
それからこれが勝鬨橋。
佐野周二が座っているのは勝鬨橋から少し南の月島の河岸。勝鬨橋をバックに三井弘次が客となっている宿で娼婦として働いている女性と佐野周二がかなり長い話をします。ところで勝鬨橋は大きな船が通るときには橋が開く開閉橋ですが、残念ながら開くところは映りませんでした。
勝鬨橋といえば、松本隆さんの『微熱少年』で、主人公の少年が橋が開いたときに車で飛び越えたのがまさにこの勝鬨橋だったとのこと。昔読んだときには勝鬨橋どころか隅田川すら知りませんでした。また、読み返してみます。