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by hinaseno
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「たねさん」に会いに行く(その4)


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井伏鱒二の『荻窪風土記』に収められた「小山清の孤独」はこんな言葉で始まっています。
 戦争を境に、文学青年窶れをした人たちが影をひそめ、文学同人雑誌も影をひそめた。戦前には私の知つてゐるだけでも(荻窪、阿佐ヶ谷附近の人たちの間だけでも)「青い花」「鷭」「ロマネスク」「青空」「海豹」「麒麟」といふやうに、次から次に発刊されてゐた。戦後は十年近く一冊もなくなつて、荻窪八丁通りの先の関町に引越して来た小山清を中心に「木靴」といふ同人雑誌が出た。昭和三十一年六月末の発刊である。
 同人は大学生や高校の学生も混つた若い人たちで、二割くらゐは仕事を持つてゐる人がゐた。私の知つてゐる人では、筑摩書房に勤めてゐた石井立と主宰者の小山清だけで、他には少し後になつて知つた荻窪八丁通りの先でパン工場を経営する辻淳がゐた。この雑誌は気ながに蜿蜒と続き(今日まだ跡切れ跡切れに続いてゐるかも知れないが)、主宰者の小山清が亡くなる昭和四十年三月まではぼつぼつと刊行を続けてゐた。創刊当時に学生だつた同人も、主宰の小山君を嬉しがらせるやうな作品を書いた。

『木靴』に最初から参加したのは小山清という作家に、小山清の作品に強く惹かれた人たちであったことはいうまでもありません。彼らが「主宰の小山君を嬉しがらせるやうな作品を書い」ていたので、小山さんは『木靴』という同人誌を作ろうと考えたんだろうと思います。Fさんももちろん「嬉しがらせるやうな作品を書い」ていたひとり。

前之園明良さんの文章によれば、5年で大学(早稲田大学)を卒業できなかったFさんは昭和31年の春に突然、前之園さんらサークルの人たちに何の連絡もせず大学をやめたようです。
昭和31年の春といえば、まさに『木靴』が発刊する直前。いろんな理由があったにせよ、Fさんが大学をやめたのは『木靴』を出すために小山さんにいろんな形で協力しようとしたからだったように思います。

前之園さんたちのところから突然姿を消してしばらくたって、Fさんから前之園さんのところへ手紙が届きます。その手紙には小山さんと『木靴』という同人雑誌を始めたことともうひとつ、住み込みの新聞配達員をしていることが書かれていました。
興味深いのはFさんが住み込みの新聞配達員をしていた販売店。浅草田島町の読売新聞販売所。
『木靴』の4号からは「同人住所」が載っていて、そこにはFさんの住所がこう記されています。
東京都台東区浅草田島町111 読売新聞合羽橋出張所

なんと、小山清が戦前に、やはり住み込みで働いていた新聞販売所のあった竜泉寺町のすぐ近く。しかも小山さんと同じ読売新聞。小山さんが勤めていた販売所はおそらく空襲で焼けたはずなので、Fさんが勤めたのは戦後になってあの地域に作られた販売所だったのかもしれません。
もしかしたら小山さんの紹介で働くようになったのかもしれませんが、それにしても小山さんとほぼ同じ状況に身をおいて、文章を書こうとするFさんの姿にはびっくりすると同時に微笑ましい気持ちにもなってしまいます。小山さんがFさんのことをどのように見ていたのかも想像に難くありません。

昭和38年の地図で、小山さんが働いていた新聞配達所があった場所(青丸)とFさんが働いていた新聞配達所があった場所(赤丸)を示しておきます。
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by hinaseno | 2015-05-25 12:58 | 雑記 | Comments(0)