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by hinaseno
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「たねさん」に会いに行く(その1)


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権現様のある丘の近くで畑仕事をしていた老人に、しばらくその権現様のある丘のあたりの昔の話をうかがったあと、こう訊ねました。
「あの権現様の中に木製の人形がありますよね...」
老人は僕が訊ねようとしたことを最後まで聞くことなく、まさに僕の知りたかった言葉をうれしそうに口にしました。
「たねさん!」

                   *       *       *

今、僕の手元に小山清が創刊した同人誌『木靴』の創刊号から8号まであります。おひさまゆうびん舎の小山清展で展示されていたものを店主の窪田さんのご厚意でお借りしました。これがその表紙をずらっと並べた写真。
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そしてこちらが裏。真ん中に一足の木靴が描かれています。
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これらが今、僕の手元にあることに深い”縁”を感じずにはいられません。

この8冊の『木靴』は4年前の2011年の秋に、やはりおひさまゆうびん舎の隣にあったツリーハウスの2階で開かれた小山清生誕百年展でも展示されていたものでした。そのときにこの8冊の『木靴』を窪田さんにお貸ししたのが前之園明良さん。そしてそのきっかけをつくられたのがこのブログでも何度も触れているたつののYさん。
今回、没後50年の小山清展を開くにあたって前之園さんから窪田さんに寄贈されたようです。そして今僕の手元に。

『木靴』に関して記されたもっとも有名な本は井伏鱒二の『荻窪風土記』でしょうか。そこに収められた「小山清の孤独」という文章の中で『木靴』についてかなり詳しく触れ、最後にこう書いています。
同人雑誌「木靴」の存在は、小山君の生き甲斐であり、心の拠りどころであつたやうだ。

『木靴』は全部で20号発行されました。
手元にある8号までの発行日とページ数と執筆者の数を記しておきます。
 1号  1956年6月1日発行    84ページ  執筆者11名
 2号  1956年11月1日発行  144ページ  執筆者13名
 3号  1957年4月20日発行  142ページ  執筆者11名
 4号  1957年9月20日発行  118ページ  執筆者12名
 5号  1958年6月10日発行  114ページ  執筆者8名
 6号  1958年11月25日発行 128ページ  執筆者8名
 7号  1960年6月1日発行    74ページ  執筆者4名
 8号  1961年7月1日発行    57ページ  執筆者3名

このうち小山清は1号から3号まで寄稿。1960年の11月に脳血栓で倒れて失語症に陥ります。執筆者の数は5号から減り始め、小山清が倒れた後に出た8号ではたった3名になっています。でも、20号までは続いたんですね。

8号までで最も多く執筆されている同人は創刊号から名を連ねている宮原昭夫。8号のうち7号で長めの小説を書いています。宮原昭夫という同人は井伏鱒二の『荻窪風土記』でも触れられているように、後に『文学界』の新人賞と芥川賞を取っていることからもわかるように、かなりの書き手であったことがわかります。
宮原昭夫の次に多いのは8号のうちの6号で小説を書いている同人F。無名の作家なので、あえて実名ではなく「F」と記載することにします(講談社文芸文庫の小山清『日々の麺麭/風貌』の年表にはFの実名が書かれています)。
実はこの8号までの『木靴』を持っていたのはそのFさんでした。8号まで持っていたということはその後同人をやめてしまった可能性があります。

おひさまゆうびん舎の窪田さんに『木靴』を寄贈された前之園明良さんとFさんが大学時代の友人で、小山清生誕百年展のときに前之園さんがFさんから『木靴』を譲り受けていたようです。
で、前之園さんは小山清生誕百年展のときに「小山清 生誕百周年余聞」という文章を寄稿されていて、僕がおひさまゆうびん舎に足を運んで間もない頃、展示会が終わった後でしたがその文章をプリントしたものをいただきました。
それはまさにFさんについて書かれたものでした。そしてそれを読んだときに、ある”縁”を感じて、当時、ちょっと調べましたが何の手がかりも得られず、それっきりになっていました。でも、まさかそのFさんの持っていた『木靴』が僕の手元にあるなんて、やはり”縁”を感じずにはいられません。

そのFさんが『木靴』の創刊号で書いていたのが「たねさん」という小説でした。きっといくつか小山清に文章を見せていて、小山清がこれがいいよって言ったんじゃないかと思います。
「たねさん」はFさんが生まれた場所を舞台にした物語。
僕は先日、その「たねさん」に会いに行ってきました。

話はそれてしまいますが、昨日、ようやく『大瀧詠一 Writing & Talking』を読み終えました。音楽に限らず、さまざまな分野に関する話の中で、折りに触れて大瀧さんが語られているのは人との出会いや縁のことでした。
最も面白かったのは高橋安幸著『伝説のプロ野球選手に会いに行く』に収録されていた「解説的対話 伝説のプロ野球ファン 大瀧詠一に会いに行く」でした。この中で著者でもあるインタビューアーの高橋さんに大瀧さんがこんなことを言っていました。
それでね、その「会いに行く」過程が半分ぐらいあってもよかったんじゃないか、っていう気もした。遠慮しないで、どういう過程でそこまで行ったか、いきさつとか縁とか、自分の思いっていうのがいっぱいあったほうが。

高橋さんの本は読んでいないので何とも言えませんが、大瀧さんのこの発言には大納得。僕もやはりそういうのを読むのが好きです。

というわけで、「たねさん」に会いに行ったことの「いきさつ」や「縁」をしばらく書いてみようと思います。
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by hinaseno | 2015-05-18 13:10 | 雑記 | Comments(0)