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by hinaseno

昭和8年2月23日のこと


今朝、『あまちゃん』を見て知ったのは、主人公の能年玲奈さんの役名が「秋」ということ。「アキ」と呼ばれているのは知っていましたが、まさか季節の「秋」という字が与えられていたとは思いませんでした。
このブログでは何度も書いてきたように、僕と木山捷平とのつながりをつくってくれたのは2つの「秋」という詩でした。
ひとつは昭和2年、姫路にいたときに書いた「大西重利に」との言葉が添えられた「秋」、もうひとつは昭和8年、杉並区馬橋四の四四〇に住んでいたときに書いた「秋」。
考えてみたら小説家としての第一歩を踏み出し始めた昭和8年に書かれた詩はこの一篇だけ。この詩に登場する「友達」はとても特定出来そうにないですが、もしかしたら太宰治だったかもしれません。でも、一番可能性があるのは野長瀬正夫ではないかと考えています。それについてはまた改めて。

さて、その昭和8年2月23日のこと。この日のことは昭和39年に発表された「太宰治」に詳しく書かれています。
その日の朝、新聞記事を読んだ木山さんは小林多喜二が「私と同じ馬橋の六十五番地違いに住居を持っていたこと」を知ります。
新聞に載っていた小林多喜二の住所は「杉並区馬橋三の三七五」、そして木山さんの住所は「杉並区馬橋四の四四〇」。確かに番地は「六十五番地違い」。
でも、小林多喜二は馬橋の三丁目で木山さんは四丁目じゃないかと思ってネットで昭和24年の地図を調べたら、それぞれが1番地から始まっているのではなく、1番地から500番地くらいある馬橋をだいたい100番地ごとに馬橋一丁目から馬橋四丁目までに分けていることがわかりました。というわけなので「六十五番地違い」というのは間違いありませんでした。というわけでそれぞれの家のあった場所を地図で確認。
赤丸の「440」が木山さんの家のあった場所。そして、「375」は載っていませんでしたが、青丸で囲った「374」「378」の数字が見えるの辺りに小林多喜二の家があったと考えられます。500mあるかないかの距離。
昭和8年2月23日のこと_a0285828_1310444.png

というわけで、怒りと好奇心の入り混じった中で「うまく行けば線香の一本でもあげたいものだと思って」木山さんは小林多喜二の家に向かいます。でも、...
ところが家を出て、二、三町ゆくと、もうそのへんの淋しい路地に私服らしいものがうろちょろしているのを発見したので、私はこれはいかんと思ってあたふたと家に引きかえした。
 私がこれはいかんと思ったのはほぼ妥当だったようで、その日の夕刊に次のような記事が出た。
「小林多喜二氏葬儀、物々しい警戒」

ということだったようです。
こんな出来事があったことを、その30年あまり後に小樽にある小林多喜二の文学碑を訪れた木山さんは果して思い出していたでしょうか。
by hinaseno | 2015-04-25 13:14 | 木山捷平 | Comments(0)