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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
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「『バック・トゥ・ザ・フューチャー』と同じように、みんなには73年に戻ってもらいたい」


話は1973年に。
「事の始まりは1973年の福生スタジオ」です。
僕の言葉ではなく大瀧さんの言葉。『レコード・コレクターズ増刊 大瀧詠一Talks About Niagara』所収の『ナイアガラ・トライアングル Vol.2』のインタビューでの言葉。そばにいた佐野さんや杉さんにこんなことも言っています。
「映画の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』と同じように、みんなには73年に戻ってもらいたいんだよね」

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で、あの落雷のあった1955年11月12日に何度も戻るように、大瀧さんのナイアガラ・ストーリーでは必ず1973年に戻ることになります。このブログでも1973年の出来事を何度も書いてきました。そういえば、大瀧さんのスタジオにも一度落雷があったんですね。あれはいつのことなんだろう。

さて、はっぴいえんどは1972年の暮れに事実上解散。大瀧さんは1973年の1月に福生に引っ越します。そこで自分の部屋を仮設のスタジオにするんですね。FUSSA 45スタジオの始まりです。で、2月には三ツ矢サイダーのCMの話がまいこんできます。「サイダー73」ですね。
3月には大阪で活動していた伊藤銀次さん率いるごまえのはえというグループをプロデュースすることになり、ごまのはえが上京してきて福生に住むことになります。で、彼らのデビューのための”鬼の特訓”が開始。
その鬼の特訓のたった1日だけあった休みの日に銀次さんたちが高円寺のグルーヴィンという喫茶店で達郎さんが自主制作したレコードを聴き、大瀧さんと達郎さんが出会うことになるわけですが、まさにそのごまのはえ特訓の日々に依頼されたのが布谷文夫さんの新しいアルバムのプロデュースでした。その録音が6月下旬から7月にかけて行なわれます。
あまり時間がなかったせいか、このアルバムのために大瀧さんが新たに作った曲はありませんでした。基本的には布谷さんが作った曲のアレンジ、ミックス。それから大瀧さんがはっぴいえんど時代にかいた「颱風」のカバー。
アンダース&ポンシアが曲を書いた「One Woman Man」を改作した「夏バテ」にはおそらくいちばん力を注いだんだろうと思います。
でも、大瀧さんはもう一つやってみようと思った曲がありました。布谷さんがブルース・クリエイションというグループにいたときに大瀧さんが作った「二人のブルース」という曲。ただこの曲はブルース・クリエイションでは発表されず、その次に布谷さんが作ったDewというグループでレコーディングしたようです。



さて、布谷さんのソロ・アルバムのためにこの「二人のブルース」を改めてレコーディングしようとしたときに、いつものように思わぬ出来事が起きるんですね。
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by hinaseno | 2015-01-14 11:35 | ナイアガラ | Comments(0)