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ナイアガラーは「そういう話」だけ聞きたいんです。


ナイアガラの歴史を考えたとき「深南部牛追唄」ほど大切な曲はないのではと思う日々。
もちろんそれは大瀧さんが布谷文夫さんという希有なアーティストに出会うことができたからこそのこと。
というわけで、大瀧さんと布谷さんの出会いについて少し。

ウィキペディアでは布谷さんと出会ったのは大瀧さんが上京した1967年の夏となっていますが(おそらく『KAWADE夢ムック 大瀧詠一』の巻末の湯浅学さんが作成された「大瀧詠一年譜」によってるんでしょうね)、正しくは上京して間もない3月のこと。でも、どのようなきっかけで出会ったかは長い間謎のままでした。

大瀧さんと細野さんの出会い、あるいは達郎さんとの出会いに関しては、いろんなところで何度も語られてきていますが、大瀧さんと布谷さんとの出会いについてはほとんど語られてきませんでした。大瀧さんという人は訊かれないことには答えない人なので、だれも訊く人がいなかっただけのこと。
布谷文夫さんというのはメディアにほとんど出ることもない人だったので、現在、布谷さんのCDのライナーノーツやウィキペディアに書かれていることのほとんどは1976年に放送された「ゴー!ゴー!ナイアガラ」の布谷文夫特集をもとにしています。布谷さん本人へのインタビューを交えながら布谷さんのヒストリーを辿ったあの番組は今となっては大変貴重なもの。
ここここで聴くことができます。
ただ、この放送でも布谷さんとの出会いについては大瀧さんが「ひょんなことから」と語っているだけ。

この謎に包まれた2人の出会いについて問いを発したのは内田樹先生でした。
例の2005年8月19日に行なわれた大瀧さんとのはじめての対談で内田先生が大瀧さんに質問されたんですね。そのやりとりがちょっと面白いのでそのまま載せておきます(『KAWADE夢ムック 大瀧詠一』に掲載)。
内田:布谷さんとはどういう経緯で知り合ったのですか。
大瀧:上京して1週間以内に会っていますね。こんな話、聞きたいですか?(笑)
内田:ええ、すごく知りたいです。ナイアガラーは「そういう話」だけ聞きたいんです。
大瀧:僕は岩手県内でも転々としていたのですが、何度目かの転校の時に知り合った人間がいて、彼がクレージーキャッツのソノシートを持っていたということで気が合って友達になった。それから二、三年して僕がギターを覚え始めた時に、彼が詞を書いて、僕がスリー・コードで曲を付けた。これが最初のオリジナル曲ですが、このときの作詞家が後に布谷さんの「冷たい女」の作詞をした千葉信行で、僕よりも前に上京していた彼に誘われて、彼の先輩がいるとあるGSバンドの練習に遊びに行ったんです。そこへリード・ヴォーカルが来るからちょっと待ってろと言われて、布谷さんを紹介されたわけです。

「こんな話、聞きたいですか?」という大瀧さんの言葉に対して内田先生の「ええ、すごく知りたいです。ナイアガラーは「そういう話」だけ聞きたいんです」という言葉がいいですね。
それはさておき大瀧さんは上京して数日で布谷さんに出会ったとのこと。当時布谷さんは専修大学の大学生。ふたりの出会いのきっかけを作ったのが岩手にいたときの中学時代か高校時代の同級生の千葉伸行さん。大瀧さんの最初のオリジナル曲の作詞をした人なんですね。「深南部牛追唄」が収録された、 大瀧さんプロデュースによる布谷文夫さんの『悲しき夏バテ』に収められた「冷たい女」の作詞・作曲をした人。

で、その布谷さんから「お前の趣味にぴったりの奴がいるから」と紹介されたのが立教大学の中田佳彦さん。そしてその中田佳彦さんから細野さんを紹介されるという流れになるわけですね。

日本のロック史的には細野さんとの出会いがどうしても重視されるのですが、ナイアガラ的には上京してほんの数日で布谷さんに出会っていること、さらにその布谷さんとともに「深南部牛追唄」という曲を作ったことこそが最も重要なことであったと思わずにはいられません。
その「深南部牛追唄」も企画を温めて生まれたものではなく、例によって”たまたま”時間ができたために生まれたものだったとのこと。
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by hinaseno | 2015-01-13 12:18 | ナイアガラ | Comments(0)