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by hinaseno
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”イーハトヴ田五三九”誕生の日


今日の、というか新年最初に紹介する写真はこれです。鹿踊(正式には「ししおどり」と読みます)という伝統芸能。
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ところで大瀧さんにはいろんな変名があることを何度か書きましたが、その中のひとつにイーハトヴ田五三九というのがあります。宮沢賢治が生み出した言葉「イーハトヴ」に農民的な名前の「田吾作」をくっつけた名前。ただし「吾作」は数字の「五三九」に変えています。たぶんこの数字が表しているのはリズム。
というわけでイーハトヴ田五三九は基本的にはドラマー。ただ別のドラマーがいるときにはいろんな打楽器を担当。唯一『レッツ・オンド・アゲン』の「ハンド・クラッピング音頭」ではヴォーカルを担当しています。音頭のリズムには強そうです。

高校2年になってはじめてバンドを結成したときに大瀧さんが担当したのはドラムスでした。そして1967年に上京して布谷文夫さんと出会って最初に組んだバンド(バンド名はタブー)でもやはり担当はドラムス。はっぴいえんどでは、バンドへの参加を要請されたときにすでにドラマーがいたので(もちろん松本隆さん)、ギターを担当することになりますが。

さて、『KAWADE 夢ムック 大瀧詠一』に掲載されている大瀧さんの年譜の生誕日(1949年7月28日)のところには、大瀧さんが生まれた江刺市梁川についていくつか紹介されていて、その中にこんな記述がありました。
鹿踊が伝統芸能として伝えられている。

僕の持っているものでは確認できていないのですが、大瀧さんは音楽の原体験を問われたときにこんな発言もされていたようです。
「南部鹿踊りを見ながら母の背中でリズムを取ったこと」

あるいは何かのディスコグラフィにはこんなことも書かれているようです。
「二歳の時に鹿踊りの太鼓の音にしびれる」

鹿踊は江戸時代の南部藩と伊達藩の領土で受け継がれている伝統芸能。大きく分けて2つの流派があって、ひとつは踊り手が演奏を行なわない「幕踊系」。もうひとつは踊り手が太鼓を持って演奏する「太鼓踊系」。太鼓踊系はさらに3つの流派に分かれていて、上の写真はその太鼓踊系の流派のひとつ金津流の鹿踊。正確には梁川金津流鹿踊。YouTubeにその映像がありました。



大瀧さんが幼少期を過ごしていた場所は南部藩と伊達藩の境界線辺りで、生まれてから10歳まで過ごしていた江刺市梁川は伊達藩の北の端で、その後に転校していった遠野は南部藩の南の端(まさに「Deep South=深南部」ですね)にあたります。で、幕踊系の鹿踊は南部藩に、太鼓踊系の鹿踊が伊達藩に分布しているようです。大瀧さんが最初に見たのは映像にもある太鼓踊系の会津流鹿踊だったはず。
ここには、15年ほど前に大瀧さんが江刺市の梁川小学校で梁川金津流鹿踊についての講演のようなものをされていたことが書かれています。

というわけで、大瀧さんは2歳のときに(昨日貼った写真が撮られた年)、お母さんの背中で鹿踊を見て、その太鼓の音に反応したのが音楽の原体験だったということ。おそらくそのときから、大瀧さんはハーモニカはやめて、棒切れかなんかを持っては何かを叩いて音を出す日々が始まったんでしょうね。
まさにその日は”イーハトヴ田五三九”誕生の日でした。

ところで宮沢賢治の作品に「鹿踊りのはじまり」という物語があります。ここに載っていますね。
彼ももちろん、鹿踊を見て育ったわけです。
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by hinaseno | 2015-01-01 12:17 | 雑記 | Comments(0)