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by hinaseno
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そこはまさにイーハトヴの世界


はじめにいくつか紹介を。まずはこれ。
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大瀧さんが生まれ育った奥州市江刺区にあるえさし郷土文化館で、今、『夢で逢えたら ―大瀧詠一さんを偲んで―』という企画展が開かれているそうです。行ってみたい。

それからこのサイトはずっと紹介しようと思っていたもの。大瀧さんと作曲家の船村徹さんが2005年に行なった対談が掲載されています。この中で大瀧さんは岩手のこと、そして宮沢賢治に関する興味深い話をいくつもされています。
例えばこんな言葉。
「はっぴいえんど」時代は、オリジナルなもの、自分にしか出来ないものは何かと考えて、宮沢賢治とかイーハトーブの世界を意識したことはありましたね。

はっぴいえんどといえばなんといっても松本隆さんが作り上げた「風街」の世界。そこにあるのは路面電車の走る東京の風景。ただ、それは細野さんや鈴木茂さんが作った曲のこと。大瀧さんが作った曲に描かれたのは、田舎の草原に風の吹き抜けるイーハトヴの世界。
もしかしたら『風街ろまん』を製作する前に、松本隆さんに宮沢賢治の『春と修羅』を渡したのは大瀧さんだったのかもしれません。ちなみに『春と修羅』には「イーハトヴの氷霧」という詩も収められています(上のインタビューでは「イーハトーブ」と記載されていますが、大瀧さんはきっと「イーハトヴ」と言ったはず)。
いずれにしても今日BSで放送される『風街ろまん』の特集は見逃せません。「抱きしめたい」にまつわる秘話が松本さんから披露されるかもしれません。

さて、大瀧さんが幼少期を過ごしていた風景を探っていたときに出会ったのがこの絵葉書でした。
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鉄橋を渡る汽車の写真。走っているのは岩手軽便鉄道。毎朝読んでいる林哲夫さんのこの日のブログで紹介されていました。この日の林さんのブログのタイトルは「銀河鉄道」。 ちょうど大瀧さんの幼少期のこと、宮沢賢治とのつながりのこと、そして銀河鉄道のことを考えていた矢先でしたので、なんというグッドタイミングだろうと思ってしまいました。
林さんが紹介されていたのは『ひととき』(ウェッジ)という雑誌の12月号に掲載されていた内堀弘さんのエッセイ。内堀さんが先輩の古本屋に行ったときに、店主から『岩手軽便鉄道沿線名所図絵』というのを差し出されます。
机の上で開くと折りたたまれた絵地図がパノラマのように長く広がって、最後に絵はがきが一枚、パラッと床に落ちた。そこに、小さな蒸気機関車が客車を引いて鉄橋を渡っている写真がある。「これが銀河鉄道か」、私は眼を近づけた。

林さんはこの内堀さんの文章を引用した後、「小生も思わず眼を近づけた」と書いています。そしてもちろん僕も林さんが貼っていたその写真に目を近づけました。「これが銀河鉄道か」と。

というわけで僕も『ひととき』を入手。ページを開くと、隣のページに東京の上空を泳ぐ「空飛ぶくじら」の広告があってびっくり。
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さらに内堀さんの文章は御茶ノ水から中央線に乗る話から始まっていて、最近入手することのできた木山捷平の「御茶の水」という小説を紹介しなければと思っていたときだったので、おいおい、世の中どうなってんだろうと思ってしまいました。
ちなみに内堀さんの文章に貼られている岩手軽便鉄道の写真は絵葉書の一部分。僕の持っている『日本の軽便鉄道』(立風書房 1974年)の岩手軽便鉄道のページを開いたら、なんと遠野駅の入場切符の下に全く同じ絵葉書の写真が貼られていました。
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ただ、これは白黒。最初に貼ったのはネットから拝借しました。

さて、この絵葉書の岩手軽便鉄道の写真の下には「達曽部川橋梁」という文字が書かれていました。このあたりの鉄橋を走る岩手軽便鉄道を見上げて宮沢賢治は銀河鉄道のイメージを作り上げていったようです。ちなみに『春と修羅』には「岩手軽便鉄道 七月(ジャズ)」と「岩手軽便鉄道の一月」という2つの詩が収められています。また、前に紹介した「冬と銀河ステーシヨン」には「冬の銀河軽便鉄道」という言葉も。
銀河鉄道は軽便鉄道だったんですね。

ところで、前に大瀧さんが小学校のときに見た映画『風の又三郎』は昭和15(1940)年公開の島耕二監督のものだろうと書きましたが、そうではなく昭和32(1957)年公開の村山新治監督のものでした。こちらの作品が宮沢賢治にゆかりのある場所でロケされていたんですね。おそらく大瀧さんが小学校で映画を見たのは公開されたその年か翌年、つまり小学校3年生か4年生のときだったことになります。

大瀧さんの生まれ育った江刺市梁川に一番近い映画のロケ地が種山高原(種山ケ原)。『春と修羅』にも「種山ケ原」という詩がある他、いくつもの作品で「種山」が出てきます。

というわけで、大瀧さんが生まれ10歳まで過ごした江刺梁川と11歳のときに転校していった遠野市綾織、それから「風の又三郎」の原風景である種山高原と「銀河鉄道の夜」の原風景である達曽部川橋梁の場所を記した地図を貼っておきます。
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こうみると大瀧さんが幼少期を過ごした場所は、まさに宮沢賢治のイーハトヴの世界であったことがわかります。

ところで大瀧さんが小学校ではじめて見た映画である昭和32公開の『風の又三郎』はDVDになっていることがわかりました。
現在注文中。観るのがとても楽しみです。そこには大瀧さんが幼少期を過ごしていたときの風景がそのまま写っているわけですから。
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by hinaseno | 2014-12-30 11:28 | 雑記 | Comments(0)