人気ブログランキング | 話題のタグを見る

Nearest Faraway Place nearestfar.exblog.jp

好きなリンク先を入れてください

Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno

新山の秋(14) ― 「おしの」のいる風景 ―


新山の秋(14) ― 「おしの」のいる風景 ―_a0285828_1261897.jpg

木山捷平は昭和7年に『おしのに送る手紙』という作品を書いています(昭和2年2月発行の『詩人現代』に掲載)。郷里の新山に住んでいる「おしの」という架空の女性に宛てた手紙形式の作品。木山さんが『うけとり』など、小説を書き始めるのは翌昭和8年から。その意味では詩から小説へ移行する時期の興味深い作品といえます。
『おしのに送る手紙』は「――ある覚書の一部――」という言葉で締めくくられています。木山さんの日記をみると、昭和7年1月3日に「『おしのに送る手紙』を書き終わる」と書いています。もしかしたら昭和7年の元日に、新たな気持ちで新しい方向に向かうために書き始めたものだったかもしれません。

この『おしのに送る手紙』の中に、例の「白壁」の話が出てきます。
 お寺のぐるりをとりかこんだ白壁の塀は昔のまゝでせうか。あれは僕が尋常何年生のときだつたかしらぬ。ぬりかへたばかりの、まだ乾ききらない真白な白壁に、草の葉でもつて大きな落書をして、おショウに見つけられて、ひどく叱られた上、先生に言ひつけられたものですが。
 バツを食つたぼく等は、日がくれても、いつまでも教室のすみに立たされてゐました。じつは先生、帰すのを忘れて、先におかへりになつてゐたのでした。
 小使の小母さんがそれを見つけて、
「お帰んなさいよ。」
といつて帰してくれました。
 あのオショウさんは間もなく死んでしまひましたがあの××先生や、いたづら友達の□□や△△はどうしてゐることでせうか。
 先生のクンカイにもかゝはらず、落書は日に日にふえるばかりでした。さうしているうちに、
 キヤマショウヘイと
 マツモトオシノ
 ××××シタ
 という風なのがあらはれて、僕ら二人は、こつそりと破れざうりを持つて、消しにでかけたことがありましたが。
 あんたはあの夕ぐれのことを、今もおぼえてゐるでせうか。

これももちろん創作の可能性もありますが、「マツモトオシノ」という名前は別としてもっとも実話に近いものではないかと思います。担任の教師も『うけとり』に出てくるような、卑劣で暴力的な人物ではなく、教室の隅に立たせていたのに、それを忘れて自分は先に帰ってしまうという、のんびりした先生。おそらく『うけとり』に登場する教師は、もう少し後に、木山さんが教師になってから目にした人物がもとになっているのではないかと思います。
大正時代の新山の小学校には『うけとり』に出てくるような教師はいなかったんですね、きっと。
新山の秋(14) ― 「おしの」のいる風景 ―_a0285828_1285556.jpg

by hinaseno | 2014-11-28 12:09 | 木山捷平 | Comments(0)