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by hinaseno
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なぜ小津は『早春』の舞台に三石を選んだのか


山田洋次と藤原審爾の関係のことについて、もう少し話しておきたいことがありますが、改めて『馬鹿まるだし』の映画と、DVDの特典(山田洋次監督自作を語る)を見てからにしようと思います。
ひとつだけ、この映画は「山田洋次監督初の喜劇」と謳われていますが、山田洋次が書いた文章を読む限り、山田洋次本人はそれを喜劇とはとらえてはいないようです。『馬鹿まるだし』というタイトルや、クレージー・キャッツを含めたコメディアンを多数出演させることを決めたのは会社サイドだったとのこと。でも、山田洋次は「この美しい小説をそのまま映画にしようと考え」て、すでに用意されていた、原作とはかなりかけはなれたシナリオに手を加えてなるべく原作に近くなるように心がけたようです。
アマゾンの評価で、喜劇なのに一度も笑えなかったとして星ひとつをつけていた人がいますが、この作品は原作である藤原審爾の小説も、そしてそれをもとにして監督自身が作り上げようとしたものも、実は喜劇とはかけはなれたものだったんですね。

さて、話の舞台は『馬鹿まるだし』の原作の舞台であった片上から、そのとなりの三石に久しぶりに戻ります。こちらはもちろん小津安二郎の『早春』の舞台として映画が撮影された場所。
ようやくずっと抱きつづけていた疑問が解決できました。
その疑問とは、なぜ小津は三石を『早春』の舞台に選んだのか。この答えを、まさに当事者の言葉で確認することができました。

『早春』のことを調べていたら、こんな本が出ていたのを先日知りました。
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『シナリオ』第11巻第11号。「『早春』特集号」と題されています。発行は昭和30年11月1日。まだ、『早春』が撮影されていた頃に発行されています。中にはもちろん『早春』のシナリオも。映画が上映される前にこういうのが出ていたんですね。

目次を見て最初に開いたのは『早春』の美術監督である浜田辰雄さんが書いた「”早春”のセット」。図面もいくつか。
映画を見ながら僕が書いた池部良の三石の下宿の図面があればと思ったのですが、残念ながらそれはなし。でも、池部良と岸恵子が行ったお好み焼き屋や、その店のある町、あるいは三石にある煉瓦会社の東京本社である(モデルは品川白煉瓦なんでしょうね)「東和耐火煉瓦」のカメラの位置まで記された詳しい図面が載っていてとても興味深い。
ところで、シナリオでも、浜田さんが書かれた図面の横にも会社名は「東和耐火煉瓦」となっていますが、実際の映画では「東亞耐火煉瓦」と「和」が「亞」になっています。おもしろいですね。
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この雑誌には主演の池部良と淡島千景の対談も掲載されています。でも、この対談がなされた時点で、ふたりは夫婦役でありながら、まだ一度も顔を合わせていなかったそうです。浮気をするシーンを先に撮ったとか。

さて、雑誌に掲載されていた中で最も興味深く読んだのは、小津といっしょに脚本を書いた野田高梧の「『早春』日記」。これはもう、おおっという話の連続。たとえばノンちゃんやキンギョとよばれていた若者が身近に実際にいたとか。
それから、あの記念すべき昭和29年8月27日のことも詳しく。映画の全体のイメージがうかび、その映画のタイトルを『早春』と決めた日のこと。
そして、その後にこの言葉が書かれていました。
主人公が岡山県の三石に転勤させられることにしたのは、この前の『東京物語』で尾道へ出かけた時、汽車の窓から見たその町の山に囲まれた、どことなく侘びしい、耐火煉瓦生産地としての工場町風景が、その構想のラストシーンに一番ふさわしいと思えたからである。

やはり小津が『早春』で三石を映画の舞台にしたのは、『東京物語』で尾道に行ったときの汽車の窓から見えた町の風景に惹きつけられたからだったようです。推測通りだったとはいえ、僕としては、そうであったらいいと願っていたことでもありました。
『早春』という映画は、三石を舞台にすることからすべては始まっていたわけです。
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by hinaseno | 2014-10-18 09:18 | 雑記 | Comments(0)