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「魔子」


岡田茉莉子さんの父親は戦前のサイレント映画のスターだった岡田時彦。小津の映画にも何本も出ています。以前触れたことのある井伏鱒二原作の(でも、井伏の名は伏されている)『東京の合唱(コーラス)』の主演も岡田時彦。
ちなみに岡田時彦という芸名を付けたのは、あの谷崎潤一郎。岡田時彦は若い頃から文学や映画に熱中して、十六歳のときに、すでに著名な作家になっていた谷崎のもとを訪ねて親しくなり、当時映画製作にも関わっていた谷崎が脚本を書いた映画に出るようになります。そのときに谷崎から命名されたのが岡田時彦という芸名。ちなみに本名は高橋英一。愛称は「エーパン」。岡田時彦と生まれた年が同じである小津もやはり「エーパン」と呼んでいたようです。
岡田茉莉子さんが生まれたのは岡田時彦が29歳のとき。でも、このときすでに彼は病に冒されていて、岡田茉莉子さんが1歳の誕生日を迎えた5日後に30歳という若さで亡くなります。ちなみに葬儀で弔辞を読んだのも谷崎潤一郎。

岡田茉莉子さんの本名は鞠子。でも、実は彼女が生まれたときに岡田時彦が彼女に付けた名前は違っていました。

その名は「魔子」。

ただ、この名前ではやはりいろいろと大変な思いをすることになるだろうということで、おそらく岡田時彦が亡くなった後に、母親が「魔子(まこ)」に自分の名前の「利(り)」をつけて「まりこ(鞠子)」としたそうです。
後に彼女が映画界に入ったときに、「茉莉子」という芸名をつけたのもやはり谷崎潤一郎でした。

岡田茉莉子さんは彼女が一歳のときに父親が亡くなっているので、もちろん父親のことを知りません。そればかりか父親のことを全く知らされないまま育てられたようです。
彼女が高校2年のとき、友人と疎開していた新潟の町を歩いていたとき偶然目にとまった映画を見ます。『滝の白糸』というサイレント映画。家に戻って食事をしていたときに彼女は『滝の白糸』という映画を見たことを母親に話します。すると母親は表情を変えて目を伏せ、黙り込みます。で、彼女に、あなたの見た映画はお父さんの映画だと、スクリーンに映っていたのはあなたのお父さんだと伝えます。同時に父親が映画俳優であったこと、岡田時彦という芸名だったこと、本名は高橋英一であったこと、30歳で亡くなったことも聞かされます。
そんな話を彼女は冷静に受けとめて、翌日、彼女はもう一度、ひとりで『滝の白糸』を見に行きます。父親に会うために。

彼女が父親の岡田時彦から最初に付けられたのは魔子という名前であったこと(そしておそらく亡くなるまで彼女を魔子と呼び続けていたこと)を知らされたのがいつだったのか、など、「魔子」という名前に関する話は残念ながら『女優』にはほとんど書かれていません。
藤原審爾の『秋津温泉』を手にしたきっかけが書かれていないのと同様に。

ただ、『キネマ旬報』の1958年4月下旬号に、当時25歳だった岡田茉莉子さんが「父への手紙」と題したエッセイを寄稿しています。じーんとくる文章なので、長いですが全文引用しておきます。
岡田時彦様

 真白い雪が降りしきる中で、お別れしてからもう二十年がたちました。
 何時の間にか私も二十五歳の春を迎えんとしています。もしパパがいらしたら女優にならなかったかもしれませんね。でも、もしかしたら女優になってパパからお叱言ばかり頂戴していたかもしれません。

 パパのお附けになった魔子という名前も、エンギが良くないとのことでママがそのマと自分の利をとって鞠子とつけ直してくれました。お嫁に行ってからも困っちゃうからって……。でも芸名の茉莉子はパパと同じく谷崎潤一郎先生がつけて下さいました。情熱と清楚さを失わぬ茉莉花のようにと……

 ママのこと。魔子は世界中で一番ママを尊敬し魔子のママほど素晴らしい人はいないと思っています。私が人並みにひねくれてもいなく、私に父親のいない淋しさを感じさせなかったママの教育振りには頭がさがります。パパが幸福に出来なかった分を、魔子はせい一杯ままに尽そうと思っています。それほど私は幸福なのです。

 パパ! うれしいことがあった時、何かつらいことがあったりするといつもパパの所へ報告に行っておねだりをするのご存知でしょう。これからも魔子に下さる祝福とともにママにもたくさんたくさんの幸福を差上げて下さい。
 パパにお願いします。
                                        魔子より

彼女が映画館で初めて父親の姿を見て、母親から父親のことを知らされたのは彼女が17歳のとき。昭和25(1950)年のこと。藤原審爾の『魔子』が刊行されたのも、まさに同じ年の昭和25年。
母親から魔子という名前のことを知らされた頃に、もしも偶然立ち寄った書店で『魔子』と題された本を目にしたならば、手にとらずにはいられなかったはず。
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by hinaseno | 2014-10-15 08:26 | 雑記 | Comments(0)