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by hinaseno
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舞台は警戒警報下の岡山駅に


昨日「舞台は備前市片上に」と書いたけれども、話はまた別のところに。
今日の舞台は昭和19年暮れの岡山駅。

不遇な時期が長く続いた木山捷平が注目されるようになった作品が、彼自身の体験をもとにして書かれた『大陸の細道』。どこまでが本当の話でどこまでが作り話なのかを判断するのはむずかしいのですが。
木山さんは昭和19年末に、満州国農地開発公社嘱託という名目で新京(長春)に行きます。『大陸の細道』の冒頭、ほとんど木山捷平と同一人物と言っていい木川正介が新京の駅で下車したときの様子が書かれています。
正介は左手にトランクを提げ、右手にボストンを持ち、肩には一升瓶を押し込んだズックのカバンを掛けていた。

ここを読んだとき、だれもが思うはず。なんでこんなところに一升瓶を、と。この一升瓶はその後、重要なモチーフとしていろんな場面で登場します。一升瓶がなければ、きっとこの物語は面白さが半減していただろうなと。

正介が新京の駅に到着したとき、千馬という名の社員が正介を迎えに来ていて正介を宿まで連れて行きます。宿についてしばらく話をしたあと「酒はいかがですか」と言って、カバンから一升瓶を取り出し、こう言います。
「これは僕の郷里の酒です。僕の友人がくれたのです。どうぞ……」

で、物語の舞台は唐突に岡山駅に。酒をのみながら千馬にしたであろう話が詳しく書かれているわけです。
 警戒警報下の岡山駅は闇のように暗かった。
 正介はいくらか地理は心得ている。その闇のプラットホームを、まるで脱走犯人か何かのように、改札口めがけて走った。もっとも身体は矮小で足の虚弱な正介のことであるから、実際は人の半分の速力も出なかったに違いなかったが、彼は無我夢中で走ったのである。
「おい、おい。ここじゃ、ここじゃ」
 改札口の向うの闇の中から、背の高い栗原が鬼ごっこの相手を逆に教えでもするように声をかけかけ出て来た。
「やあ、すまなかったなあ。ずいぶん寒い目をくっただろう」正介は胸を患ったことのある人一倍寒がり屋の栗原に、ほんとにすまない気がした。
「うん」と栗原は素直にうなずいて、「そら、約束のものを持って来たぜ」
 と外套の下から新聞紙にくるんだ一升瓶を取り出して、正介に渡した。
「ありがとう。無理、言ったね。この際だから瓶ごと貰っとくぜ。瓶の方が貴重品かも知れないが」
「いいよ、いいよ。そんなことより、そら、早く行かんと、汽車が出ちゃうぜ」
「うん、いいよ。そりゃそうと君、僕のここに穴あいてないかね」
正介は気がせきながらも、改札口の天井の防空カバーの下から僅かな光線を投げている電燈に背をむけ、こめかみから首の方を手で押えながら訊いた。
「何言ってるの。穴なんか何もないじゃないの。それより、そら、早く行かんと汽車が出ちゃうぜ」
 座席にもどると、汽車はすぐ出た。
 正介はやや気持がおちついて来ると、足や手や腰が痛んで、頭ががんがん鳴っているのを感じた。正介は外套をぬいで、足や手や腰を順々にさわって見た。別に穴はあいていないようであった。それでも正介は、よく鋭利な剃刀などで指を切った時、最初は何でもなさそうに思われながら、若干時間が経ってから血がぷっとふき出す時の経験を思い浮かべた。正介はがんがん鳴っている頭や首に手をやって、穴はあいていないかを調べた。やはり穴はあいていないようであった。

「穴」って何のことだろう、と考えていたら、今度は汽車が岡山駅に到着するまでの話になっていきます。一歩間違えばという話ですが、なんとも笑えてしまう場面。
 正介の乗った汽車は、東京を定時に出発したのであったが、途中、名古屋あたりでB29の編隊に襲われたり、一つ前を行く汽車が米原付近で故障をおこしたり、明石以西では何の理由か幾度も田圃の中に不時停車したり、その結果、時間がひどく遅延したのであった。正介は気が気ではなかった。
「栗原は待ってくれているかしら」
 正介はいらいらした気持で、栗原の痩身を思い浮かべた。
 一と月ばかり前、正介は郷里へ別れを告げに帰った足で栗原を訪ねた時、腺病質な栗原はもう炬燵に寝ていたほどであったが、あの病弱で、夜中の十二時から午前二時まで二時間も寒い夜風にさらすのは、自分が十五も年長者であるだけに、余計に酷のように思われた。酒をもらう約束だって、自分の方から強制したのも同然だった。そう思うと、恥ずかしい気がした。
 併し約束は約束、酒はどうしても欲しいので、彼は満員の乗客をわけわけ、デッキに出て、僅かな停車時間を利用して一升瓶を受取るべく、待ちかまえていた。
 するとその時、
「このバカ野郎」
 なんでもそんな風に怒鳴る駅員の叫び声が、耳をつんざくように聞えた。気がついてみると、正介は駅のプラットホームに、もんどり打ってひっくりかえっていたのであった。つまり彼は焦燥のあまり、まだ進行中の列車が既に停車したものと思い違いをし、急いで下に飛び降りたのであった。
 気がついた瞬間、正介の頭の上を、今正介が乗っていた列車が、ゆらゆら二三両通りすぎた。と、その時、いま、バカ野郎と叫んだ駅員が、手に持ったカンテラをこちらに向けて暗いホームをこちらに駆け出したので、正介は夢中でがばっとはね起き、脱走犯人か何かのように、改札口目がけて走り出したという次第であった。
「それにしても、まあよく、あんなに上手にころげたもんだ」
 正介は自分の体を自分で点検し、怪我のないのを自覚すると、そう思わないではいられなかった。
 なぜなら、どこの駅でもそうだが、駅のホームには凡そ二間位の間隔をおいて、鉄柱が立っているからであった。もしも正介がもう一秒早いか遅いか、デッキからとびおりていたならば、正介はあの鉄柱に頭をぶっつけていたのに違いなかった。

この岡山駅で正介に一升瓶を渡した「栗原」という名前の人物。これを初めて読んだときには、「一升瓶」も含めて木山さんが作ったんだろうと思っていたのですが、つい先日、この人物が実在し、実際に岡山駅で木山さんに一升瓶を手渡していたことを発見しました。いやはや、びっくり。

この「栗原」という人物こそが、まさに備前市片上に10代後半まで暮らしていた作家、藤原審爾のことでした。
実は藤原審爾は『大陸の細道』の旺文社文庫の解説を書いているのですが、「栗原」が自分のことであるのを知っていたはずなのに一切触れていないというのも、逆にさすがだなと思いました。彼自身も、実在する人物を名前を変えて小説の中に何度も登場させていたはずですから。
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by hinaseno | 2014-10-04 08:53 | 木山捷平 | Comments(0)