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by hinaseno
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「あれを見て尾道のひとは一体何ものじやと想像しているじやろうかね」


そういえば村上菊一郎は夏葉社の新刊『親子の時間 庄野潤三小説撰集』の最後に収められた「山の上に憩いあり」に名前が一度だけ出てきます。牛窓での出会いがなければきっと読み流していたはず。それから編者である岡崎武志さんのあとがきにも村上菊一郎と関係の深い人物の名前が出てきます。これもその少し前に『随筆集 ランボーの故郷』を読んでいたから気づけたこと。
岡崎さんが書かれたあとがきにこんな一文が出てきます。
井伏、河上、庄野の各家庭を設計したのは同じ広瀬三郎という建築家だった。

『随筆集 ランボーの故郷』にはこの広瀬さんのことを書いた「井伏邸の敷居」というエッセイが収録されています。こんな書き出し。
河上徹太郎、吉田健一、庄野潤三、井伏鱒二、安岡章太郎と書くと、何だか野間文学賞受賞者の列挙のように思われるかもしれないが、これはわたしの友人の建築家広瀬三郎さんが邸宅を新築した文学者たちの名前にほかならない。

このあと広瀬三郎という建築家は作家の家を建てるときには必ずその作家の主要な本を数多く読んでから仕事を始めるということが書かれています。同じ『随筆集 ランボーの故郷』に収められた「夏の果て―木山捷平追悼」というエッセイにはこんな記述があります。
先年木山邸の二階を増築したのは、わたしが紹介した知合いの大工であり、庭に咲き乱れているシュウカイドウは、いつかわたしのところから移し植えたのが殖えたのだ。

もしかしたらこの「知合いの大工」というのも広瀬三郎と関係のある大工だったかもしれません。いずれにしても、村上菊一郎という人を知ったことで、これまで見えなかったいくつものつながりを見つけられるようになりました。

さて、村上菊一郎の『随筆集 ランボーの故郷』の中で特に面白かったのは「荷風訳レニエの詩一篇」というエッセイ。フランスの詩を訳した荷風の『珊瑚礁』の中で、特に僕のお気に入りなのがレニエの「仏蘭西の小都会」だったので、思わず、おっでした。
でも、この詩の舞台となっている町は詩の中には出てきません。村上菊一郎はそれを探られているんですね。僕も木山さんの詩でまったく同じようなことをしていたので、余計に共感を覚えてしました。村上菊一郎という人は資質的には自分と似通っているところがあるなと。
で、牛窓で出会った村上菊一郎のもう1冊の随筆集『マロニエの葉』にはさらにおもしろい話が載っていました。タイトルは「尋ね人顛末」。発表されたのは昭和23年。当時村上菊一郎はまだ三原にいて、木山さんたちと会っていた頃に書かれたもの。
この「尋ね人顛末」の「尋ね人」が志賀直哉の『暗夜行路』の尾道の話に登場する人なんですね。尾道といえば、小津が『東京物語』の舞台にした場所。そのきっかけが志賀直哉の『暗夜行路』でした。志賀直哉は小津が最も敬愛する作家で、若い頃から『暗夜行路』を何度も何度も読んでいたので、その作品の舞台となった尾道を映画の舞台のひとつにしたんですね。そして撮影のための尾道への行き来がなければ『早春』の舞台となった三石にも気づかなかったはず。
志賀直哉の『暗夜行路』の尾道の話がなければ『東京物語』も『早春』もなかったわけです。その『暗夜行路』の尾道の話に出てくる、主人公の謙吉が住んでいた家の隣の気だてのいいおばあさんが村上菊一郎と同じ三原につながりのある人だということが書かれていたので村上菊一郎は興味を持ちます。それはきっと実在の人物に違いないと。で、村上菊一郎はいろいろと調べて、最終的につきとめるんですね。
すでに絶版になってしまったままの本の中にひっそりと収められているだけではもったいないような話。

で、こういうのを調べ始めたのが、おそらくは郷里の三原に疎開して戻っていたときだったようです。井伏や木山さんたちと酒をのむ例の会が尾道で開かれたのはたぶん村上菊一郎の提案だったのではないかと思います。メンバーの中にたぶん尾道が郷里の人はいなかったはずなので。
おそらくはそのときにはまだ解明の途中だっただろうと思いますが、尾道の坂道を歩きながら、井伏鱒二に得意げに話をする村上菊一郎の姿が目に浮かびます。

この尾道での会のこと、木山捷平が「井伏鱒二」で少し描いています。これもまた僕の大好きな風景です。村上菊一郎の人柄が表れています。
 ある時、林芙美子の母校を眼下に見おろす会場で例の会をやった時、その岡の上にある会場に向って坂をのぼって行く茶色の外套の井伏氏の姿を後ろから見上げるようにして、
「あの井伏さんね。あれを見て尾道のひとは一体何ものじやと想像しているじやろうかね」
 と私と並んで歩いた村上菊一郎が私に云ったことがある。
 云うまでもないことだった。あれが天下の井伏とは尾道ひろしと雖も、誰も知るまいという意味が言外にあふれていた。

広島県人である村上菊一郎が「だ」の部分を「じゃ」と岡山弁と同じ言葉を話しているのがとても身近に感じられます。そういえば『東京物語』の尾道に住む老夫婦が話している「ありがとう」の「が」にアクセントをつけるのも岡山弁と同じ。広島も東の方は言葉もそして人の雰囲気も岡山に近い気がします(西の広島市の方は住んでいたときにかなりの”違い”を感じました)。

ところで村上菊一郎の『マロニエの葉』には井伏さんが描いた村上菊一郎の肖像画が掲載されています。井伏の周りにいた人たちはみんな機会があるごとに井伏さんに字を書いてもらったり絵を描いてもらったりしてるんですね。で、井伏はそういうのにわりに気軽に応えていたようです。
村上菊一郎の肖像画は井伏が酒の席でさらさらと10分足らずで描いたとのこと。肖像画の横には「村上菊一郎の正像也」との添え書きも。この「正像」というユーモアにあふれた言葉を村上菊一郎はとても気に入ったようです。
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by hinaseno | 2014-09-28 10:09 | 雑記 | Comments(0)