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by hinaseno
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暖簾が風に気持ちよくはためくためには(最終回)


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長かった勝山の話も今日が最後。せいぜい3回くらいで済ませてもいいような話をよくもここまでという感じです。

さて、時間は3時近くになっていたでしょうか。4時すぎの列車で帰る予定にしていたので、もう一度タルマーリーに寄ってみることにしました。タルマーリーの大きな暖簾もやはり気持ちよくはためいています。
今度は冷たい牛乳(これが美味しかった)と甘いピタサンド(これも美味しかった)を注文して、カウンターではなく座敷の方に座ってみることに。座敷にはいくつか大きな本棚が置かれていて、片方の本棚には絵本関係、そしてもう一つの本棚には内田先生の本や平川さんの本が並んでいて思わずニッコリ。渡邉さんの書かれた本にも取り上げられていた『資本論』も!

そんな本を眺めつつ、座敷でくつろいでいたら、外出されていた渡邉格さんが、本にも登場する子どもたちと一緒に店に戻って来て、30分ほど話もできました。内田先生や平川さんのことを心から尊敬している人と、岡山の地で話をできるというのはなんとも幸せなこと。今日はもうお会いできないだろうなと思っていたので本当にラッキーでした。このときに渡邉さんが言われたのが「縁のない人とは、何回来て下さってもお会いできないんです」という言葉。

縁といえば、もういくつかの、へえ〜っという話も。
渡邉さんが岡山にやってきたのは震災、原発事故があったためですが、勝山にやってくる前に店をされていたのは千葉県南房総のいすみ市。いすみ市のことを調べていたらちょっとだけ面白いことが。南房総にある町ということなのでもしやとは思ったのですが。
以前にも触れた川本三郎さんの「住んでみたい町」(『旅先でビール』潮出版社 2005年)というエッセイ。牛窓が出てきてびっくりしたものなのですが、改めて川本さんが住んでみたい町として列挙した部分を引用しておきます。
房総半島の大原や鵜原、大多喜、西伊豆の松崎や安良里、田子、岡山県の瀬戸内に面した牛窓、島根県の江の川に沿ったその名も川本町、大分県の白杵……

この川本さんが住んでみたい、日本の小さな町として最初に挙げられていたのが大原。この大原がまさに現在のいすみ市になっているんですね。

で、渡邉さんの本には書かれていないことなのですが、実は渡邉さんの家族はいすみ市を離れていきなり勝山に行かれたのではなく、その前に岡山の別のある町に住んでいたんですね。その町の名前を聞いたときにはちょっとびっくり。たぶん岡山県人でもピンと来る人はそんなには多くないだろうと思える町。でも、僕にとっては思い入れの深い町。
その町は備前市の伊部に近い、熊山という大きな山の麓にあります。例の大瀧山福生寺は目と鼻の先。僕は中学から高校にかけて何度も自転車でその町を通っていました。

渡邉さんは最初そこでお店を開こうと考えていたようです。いい空気といい水があったと。
その水はもしかしたら熊山から大瀧山福生寺を通って流れていた川の水だったのかもしれません。
自然界の菌の気持ちを理解することのできる渡邉さんが(おそらくは直感的に)選ばれた場所には驚かされるばかり。

それにしても下駄を買ってからは驚くようなうれしいことの連続。巨大なショッピングビルなんかで下駄を買ったって、店の人に「店の裏に、いい建物があるんですよ」なんて教えてくるはずもありません。もちろんそこに暖簾があってもはためかないし、エアコンの風ではためく暖簾なんて何の情緒もないですね。

勝山にはまたぜひ行きたい、というよりも住んでみたい気持ちになってしまいました。
そういえば岡野屋旅館のことをネットで調べていたら岡野屋旅館プロジェクトというものが存在していることを知りました。岡野屋の素晴らしい建物をいろんな形で活かそうという試みのようです。僕としては、間接的にではあれ谷崎潤一郎や荷風と縁のあった建物(だったはず)なので、是非とも残して、いい形で―できれば谷崎や荷風とのつながりを何らかの方法で残すような形で―活用してもらえたらと思っています。勝山は谷崎ゆかりの地であると同時に荷風ゆかりの地でもあるわけですから。
何か提案しようかな?

さて、タルマーリーも来週から営業再開のようです。勝山を訪ねるのならば、暑いけれど、というか暑いからこそ、夏に行ったほうがいいように思いました。

最後に、勝山から岡山に戻った翌日の8月16日に荷風が谷崎に送った手紙の一部分を引用しておきます。勝山の町を見た荷風は、戦争は終わったとはいえ、事情が許せば勝山に住みたい気持ちを強くしていたことが分かります。
...本年五月流浪の生涯になりてより此方勝山の三日ほど楽しき時は一度もなかりし事に御座候もう二三日も逗留致度存候ひしがそれにては食料のご迷惑も嘸かしとまづはきぬぎぬの思にて御別れ致候...

...それにつけても勝山の三日はわが身に取り上上吉の辻占なりしやうの心地致し返す返す御厚情難有存申候扨又休戦後当分の御方針如何なる御考に候や私は今しばらく此儘中国筋に逗留致さうかと存候につき勝山移転の事は従前通りよきやう御周旋被下度御願申上候また近日(本月月末にても)貴家食料の御都合をうかゞひもう一度御邪魔に上りたきものと切望致居候...

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by hinaseno | 2014-08-08 08:31 | 雑記 | Comments(0)