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by hinaseno
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暖簾が風に気持ちよくはためくためには(12)― 「渓流に臨む好き旅館」―


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「店の裏に、いい建物があるんですよ。元は旅館だったんです」

下駄を買って店を出ようとした僕に店主が投げかけた言葉を聞いたとき、思わず「あっ、それです!」と叫んでしました。
下駄屋の店主もびっくりしただろうと思うくらいの声で。

裏の裏手に行って見えたのは思った通りの風格のある旅館。荷風が泊まった赤岩旅館とは造りも規模も比較になりません。
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旅館の名前は岡野屋旅館。
その岡野屋旅館に行く道の向こう側にあったのが神橋。中橋から北側を臨んだとき、遠くに見えていた橋でした。そこまで歩いてきていたとは。
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これがその神橋から見た旭川と岡野屋旅館。いや、本当に素晴らしい。
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間違いなくこれが”あの”旅館だと確信しました。

荷風の8月13日の『断腸亭日乗』にこんな記述があります。勝山に到着して谷崎が滞在していた家に立ち寄った後のこと。
一浴して後谷崎君に導かれ三軒先なる赤岩といふ旅館に至る。谷崎君のはなしに渓流に臨む好き旅館に案内するつもりなりしが、遽に獨逸人収容所に當てられて如何ともしがたしと。予が來路車中にて見たりし洋人は想像通り獨逸人なりしなり。

荷風は、谷崎の滞在する家のすぐぞばの赤岩旅館に泊まることになったのですが、実は谷崎が荷風を案内するつもりでいたのは「渓流に臨む好き旅館」だったんですね。若い頃からずっと荷風を尊敬している谷崎が荷風のために用意しようとしたものなので、きっと相当立派な旅館のはずだと思っていました。
その旅館が今も残ってはいないかと思って、旭川にかかるいくつかの橋の真中あたりまで行っては、両岸に立ち並ぶ建物をきょろきょろと見続けていました。
神橋の近くにあった岡野屋旅館は、まさに「渓流に臨む好き旅館」。
でも、この旅館、実際には「獨逸人収容所に當てられて」いたので荷風は宿泊できませんでした。

荷風は勝山に向かう姫新線の列車の中でもドイツ人を見ています。
車中偶然西歐人夫婦幼兒を抱きて旅するものあるを見る。容貌獨逸人なるが如し。

で、こう記しています。
予が來路車中にて見たりし洋人は想像通り獨逸人なりしなり。

考えてみたら不思議な話。なんで岡山の北部の山奥の勝山の旅館にドイツ人を収容しようとしたのか。荷風も列車の中で、何か奇妙なものを感じとっていたようです。たぶん、勝山にドイツ人を収容するというのは国家機密ですらあったのではないかと。

当時日本と同盟国であるドイツは、すでに5月に降伏していますが、それをどれだけの日本人が知っていたんでしょうか。絶対に隠されていたはずですから。ただ、外国の情勢には注意を払い続けていた荷風は、何らかの形でドイツが降伏したことを知っていたのではないかと思っています。もちろん日記にはそれを書いていません。そんなものが見つかってしまったらどうなるかは十分にわかっていたはずなので。
そんな荷風だからこそ、電車の中にいる西洋人の家族の様子を見て(子どもも含めて、きっと黙り続けていたはず)、即座にそれがドイツ人だと気がついたのではないかと思います。

いずれにしても、降伏後、日本にいたドイツ人は相当に微妙な立場にいたにちがいありません。そのドイツ人を、まさに終戦直前に、秘かに勝山に地に隠そうとしたことは確かなんですね。
その後彼らはどうなったんだろう。

戦争という風通しの悪い時代のことを考えていたら、ちょっと息苦しい気持ちになってきたので、最後に風通しのいい話を。
下駄と暖簾ですね。

下駄を履いた気分になって、来た道を戻っていた時のこと。
実は町並み保存地区の家々にかけられた暖簾の中でいちばん気に入ったのがこれでした。
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この暖簾はその前にも一度撮っていたのですが、気に入ったのでまた眺めていたら、突然入口の扉がすうーっと開きました。まるで自動扉のように。人が出てくるのかなと思ったらそうではなくて。
見ると開けられた側の暖簾がなんだかうれしそうにはためいています。
そうか、扉を開ければ、そしてもちろん家の中の反対側の窓か扉も開ければ風通しが良くなって、暖簾は気持ちよくはためくんだな、と。
家の人が、それを知った上で、僕が暖簾の写真を撮ろうとしているのを感じとって扉を開いてくれたのかどうかはわかりませんが、ちょっと大切な教訓を得たような気持ちになりました。
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by hinaseno | 2014-08-07 10:10 | 雑記 | Comments(0)