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暖簾が風に気持ちよくはためくためには(8)― 鳴戸橋のある風景 ―


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昨日のブログで紹介した夏葉社の新刊、庄野潤三の『親子の時間』、昨日、ようやく入手しました。で、最初に岡崎武志さんが書かれたあとがきを読んだらびっくり。こんなことが書かれていました。
...した際、「それ以上、何を望むことがあろう」と庄野が思い至る場面がある。
 これは小津安二郎の映画「麦秋」で、老夫婦の口からこぼれる「欲を言えばきりがないよ」とも通底する、東洋の諦念である。「足る心」を尊重する。よって日々の生活を大切にする。...

昨日のブログの副題は「欲を言えば切りがないのだけど」。もちろん文章中に書いた通り、小津の『麦秋』からとっています。いや、ほんとに不思議。でも、岡崎さんのあとがきは本当に素晴らしくて、「山茶花」や井伏鱒二にも関わりのある「山の上に憩いあり」にまつわる話には感動してしまいました。これからゆっくり読ませていただきます。ちなみに装幀は和田誠さん。

さて、いくつもの「欲」を持って勝山の町を歩いていた僕にとって、いちばん見たい場所がありました。

その前に荷風の勝山での2日目、8月14日の日記を。
前夜は遅くまで谷崎が宿泊していた、あの二階の部屋でいろんな話をしたようです。谷崎はおそらく執筆中の『細雪』のことを、そして荷風は持参してきた『ひとりごと』の話などをしたんでしょうね。

まずは荷風の『断腸亭日乗』。
八月十四日
晴。朝七時谷崎君來り東道して町を歩む。二三町にして橋に至る。渓流の眺望岡山後楽園のあたりにて見しものに似たり。後に人に聞くにこれ岡山市中を流るゝ旭川の上流なりと。其水色山影の相似たるや蓋し怪しむに及ばず。正午招かれて谷崎君の客舎に至り晝飯を饗せらる。小豆餅米にて作りし東京風の赤飯なり。予初め谷崎君の勧告に從ひ岡山を去り此地に移るべき心なきにあらざりしが、岡山廣島等の市邑續々焦土と化するに及び此の地も亦人心日に日に平穏ならず米穀の外日々の蔬菜も配給停止し他郷より來れる避難民は殆食を得るに苦しむ由。事情既にかくの如くなれば長く氏の厄介にもなり難し。依つて明朝岡山にかへらむと停車場に赴き乘車券の事を問ふに、明朝五時に來らざれば獲がたかるべしと言ふ。依つて其事を谷崎氏に告げ旅宿に還りて午睡を試む。燈刻谷崎氏方より使の人來り津山の町より牛肉を買ひたれば來たれと言ふ。急ぎ赴くに日本酒も亦あたゝめられたり。頗美酒なり。細君微酔。談話頗興あり。覊旅の憂愁初て一掃せらる。九時過辭してわが客舎にかへる。深更警報をきゝしが起きず。

それから谷崎の『疎開日記』。
八月十四日、晴
朝荷風氏と街を散歩す。氏は出来得れば勝山へ移りたき様子なり。但し岡山は三日に一度ぐらゐは食料の配給ありとの事にてその点勝山は条件甚だ悪し。予は率直に、部屋と燃料とは確かにお引受けすべれども食料の点責任を負ひ難き旨を答ふ。結局食料買入れの道を開きたる上にて荷風氏を招く事にきめる。本日此の土地にて牛肉一貫(二〇〇円)入手したるところ又津山の山本氏より一貫以上届く。今日は盆にて強飯をたき豆腐の吸物にて荷風氏も招く。夜酒二升入手す。依つて夜も荷風氏を招きスキ燒を供す。又吉井勇氏に寄せ書のハガキを送る。本日大阪尼崎方面空襲にて新型爆彈を使ひたりとの風説あり。今夜も九時半頃迄二階にて荷風先生と語る

詳しく書いている部分はそれぞれ異なるにせよ、二人の書いている内容はぴたりと一致しています。でも、やはり荷風の日記は何ともいえない気品にあふれています。この日の夜に飲んだ酒についても「頗美酒なり。細君微酔。談話頗興あり。覊旅の憂愁初て一掃せらる」と簡潔ながら本当に美しい文章。実際には勝山への移住という希望が消えてしまったという状況を考えると、何とも切ない気持ちにさせられてしまいます。

さて、この日はなんといっても朝のこと。荷風と谷崎の二人が川まで散歩します。
朝七時谷崎君來り東道して町を歩む。二三町にして橋に至る。

僕はこれまで勝山の町の地図は極力見ないようにして、荷風のこの日記だけを読んで勝山の町をイメージしていました。で、実は、勝山の駅を下りたときから変だなという気持ちがずっと続いていました。その理由は、ここに書かれてある「東道」が間違っていたんですね。正しくは東ではなく西。荷風の宿泊した赤岩旅館から西に少し歩いたら、すぐに旭川にかかる橋が見えるのですが、東に行けばもちろん勝山駅に戻ってしまいます。
東西、正反対の勝山の姿を頭に描いていたことに、ここでようやく気がつきました。荷風もときどきは方角を間違えているだなと。

この写真が赤岩旅館から少し西に歩いたところ。
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木のアーケードはここまで。向うに旭川にかかる橋が見えています。そして、その手前に見える十字路を右に曲がったところが町並み保存地区。暖簾がかかっている町並みです。その町並みにパン屋タルマーリーがあるのですが、それも行ってみてわかったこと。

というわけで、あの日の二人と同じく赤岩旅館からまっすぐに西に行って橋の袂まで行きました。
橋の名前は鳴戸橋。『断腸亭日乗』に書かれていた橋は鳴戸橋だったんですね。近年、新しく作り直された感じ。昔のままでないのが残念。
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これが鳴戸橋から南側を見た風景。
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向うに架かっている橋が出雲街道(国道181号線)の勝山大橋。で、その向うに姫新線の鉄橋が架かっています。

で、こちらが鳴戸橋から北側を見た風景。すぐ向うに見えるのが中橋。
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昭和20年8月14日の朝、荷風と谷崎はこの風景を見ながら、これからのことを話し合ったんでしょうね。

とにかくこの橋と、この橋からの見える風景をずっと見たいと思っていました。
理由はこの日書いたブログ
『早春』の台本を書く前に『断腸亭日乗』を熱心に読んだ小津が、敬愛する二人の作家が歩いてこの場所に来て話をする場面を物語的にも最高の風景として心に留めないはずがありません。それを映画的に『早春』の中に取り入れたのが、あの池部良と笠智衆が瀬田川の橋の下で語る合う風景だろうと。この場面ですね。
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で、このあと、鉄道マニアの厚田さんがこんな場面を入れています、下りの電車が走る時間をきちんと計算しているんですね。
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これと同じように鳴戸橋の下から、上りの、つまり津山行きの姫新線が通る場面を撮ってみようと思って橋の下に下りてみました。
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でも、考えたら列車が来るのは数時間後。それを待っているわけにもいかず、別の場所に移動しました。タイミングがあえば後で戻ってこようと。

実はこの勝山での話の第一回目に書いたことにもつながるのですが、この鳴戸橋の上からきょろきょろとある建物を探していました。でも、結局見当たらず。新しい建物もいくつも建っていたので、取り壊されてしまっているんだろうなと。

ところで、これは『岡山の駅』(昭和47年発行)に載っていた、南側上空からとらえた勝山の風景。
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おそらく昭和40年代の勝山でしょうね。手前が姫新線。走っている列車はなんと3両か4両。当時は今よりもずっと乗客が多かったんですね。
そして姫新線の上手に見える大きな橋が勝山大橋。で、さらにその向うに見えるのが荷風と谷崎が歩いた鳴戸橋。もしかしたら二人が歩いた当時のままの橋かもしれません。
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by hinaseno | 2014-08-03 11:00 | 雑記 | Comments(0)