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by hinaseno
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暖簾が風に気持ちよくはためくためには(6)― 美作の勝山ではなく、中国地方の勝山 ―


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列車はようやく勝山駅に到着。時刻は午前10時42分。岡山駅を出てから2時間半余り。
乗っていた列車が津山方向に向かうのを見送って、
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で、振り返って見ると、初めて来たのに懐かしい風景がそこにありました。
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初めて見たり、聴いたりしたのに懐かしさを感じるものってあります。好きになるものは必ず。ただ、勝山駅の駅舎は姫新線の他の駅舎とは違って近代的な大きな建物になっていました。とはいっても瓦葺き、白壁、連子格子、なまこ壁と城下町の雰囲気を残しています。
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さて、荷風はというと。
午後一時半勝山に着し直に谷崎君の寓舎を訪ふ。

荷風は岡山から4時間近くかかったようです。で、すぐに谷崎潤一郎が滞在していた家に向かいます。

というわけで、僕もそちらに向かうのですが、その前に、何度も読んでいた川本三郎さんの「谷崎潤一郎の隠れ里」(朝日選書『文学を旅する』2002年)の書き出しを引用しておきます。
 岡山県のなかほどにある勝山町は、人口1万人足らずの小さな町だが、現代の喧噪とは無縁の「隠れ里」と呼びたいようなひっそりとした魅力を持っている。
 三浦藩2万3千石の城下町で、木材の町として栄えていた。江戸時代、町を流れる旭川を木材を積んだ高瀬舟が行き来した。現在もスギ、ヒノキを産し、月に何度も木材の市が開かれる。
 白壁と連子格子の商家が続く通りは「町並み保存地区」に指定されている。江戸時代に建てられた商家がいまも残っている。通りにはコンビニもファストフードの店もない。かわりに造り酒屋が二軒もある。
 渥美清の遺作となった『男はつらいよ 寅次郎紅の花』(1995年)では「小京都好き」の寅さんが、冒頭、この「白壁と格子窓の通り」を歩いている。通りにはそれを記念して「『男はつらいよ』ロケ地」の碑が立っている。

川本さんが勝山を訪ねられたのは2001年のこと。まだ、タルマーリーはできていないですね。でも、町並みは川本さんが訪ねられたときとそんなには変わっていないはず。ただし人口はこの13年の間に千数百人減っています。1年で100人くらい。日本全体の人口が減少状態になっている今、この数字を過疎が進んでいるととらえるべきかどうかは難しいですね。

ところで、これまでずっと勝山駅と書いてきましたが、正しくは中国勝山駅。
姫新線、あるいは近くの因美線の駅の多くは昔の国名である「美作(みまさか)」をつけて「美作○○駅」となっているのが多いのに、勝山だけは大きな地方名が付いています。
これについて昭和47年発行の『岡山の駅』(岡山文庫)を読むと面白いことが。
当時の町会議員のひとりが「将来発展する勝山は、美作の勝山ではなく、中国地方の勝山である」と主張したことで衆議一決で中国勝山に決まったとのこと。ウィキペディアに書かれていることとはちょっと違っていますね。

というわけで、中国勝山駅から、当時、谷崎潤一郎が滞在していた家、そして荷風が2日間宿泊した旅館へと向かいました。
このとき谷崎潤一郎が滞在していた家が「旦酒店」という店の裏手にあること、荷風が宿泊した旅館もそのすぐ近くにあることは確認していましたが、とりあえずはGoogle Mapではなく自分の感覚を頼りに探してみることにしました。

荷風の日記はこう続きます。
驛の停車塲を去ること僅に三四町ばかりなり。戦前は酒樓なりしと云。谷崎氏は離れ屋の二階二間を書齋となし階下に親戚の家族多く避難し頗雑沓の様子なり。

谷崎が滞在していた家は「驛の停車塲を去ること僅に三四町ばかり」とのこと。つまり、300〜400mくらい。
駅を出てから見えたのは「勝山新町」と書かれた大きな木の門柱。そこがどうやら古くからある商店街の入口のようでした。
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by hinaseno | 2014-08-01 08:26 | 雑記 | Comments(0)