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by hinaseno
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大瀧さんとキャロル・キングの”再会”(その2)


大瀧さんとキャロル・キングとの最初の出会いは大瀧さんが中学2年のとき。1962年ですね。最初に買ったシングルはリトル・エヴァの歌った「ロコモーション」。まさにリアル・タイム。日本盤のシングルのジャケットの解説に「Goffin-King」の説明が少し書かれていたのかどうかはわかりませんが、これ以降「Goffin-King」と記載されたレコードを買い漁ったそうです。中学生の少年がアーティストではなく作家でレコードを蒐集していたというのがすごいですね。
大瀧さんが中学2、3年だった1962、3年はまさにアメリカン・ポップスの黄金期。キャロル・キングとジェリー・ゴフィンは次から次へとヒット曲を連発していました。「ロコモーション」以前のヒット曲、例えばシレルズの「Will You Love Me Tomorrow」なんかも見つけては買っていたはずなので、お金がいくらあっても足りなさそう。

でも、1964年にビートルズが全米デビューしてから、大瀧さんの音楽の関心はアメリカン・ポップスからブリティッシュ・ポップスへと移っていきます。それが大瀧さんのちょうど高校時代。中学時代がアメリカン・ポップス、高校時代がブリティッシュ・ポップスとはっきりと分かれているんですね。
ただ、1964年以降でもビーチ・ボーイズとフォー・シーズンズだけはヒット曲を出している間は聴き続けたようです。もちろんキャロル・キングの作った曲にも関心を払っていたとは思いますが、1964年以降、彼女の作る曲はがっくりと数が減ってヒット曲が出なくなります。

『ゴー!ゴー!ナイアガラ』のキャロル・キング特集でかかった曲を調べてみると、1961年の曲が8曲、1962年の曲が14曲、1963年の曲が11曲。これに対して1964年の曲は4曲、1965年の曲は2曲、そして1966年以降の曲はゼロ。
大瀧さんにとってのキャロル・キングは1965年で終わっていることがわかります。1965年の曲は後追いで手にした可能性(1972年7月29日の、大瀧さんの結婚式の翌日に起こった出来事)もあるので、実質的にはやはり中学卒業とともに、キャロル・キングともお別れしたんでしょうね。
なので1966年に久しぶりに発表されたシングル「A Road To Nowhere」も、あるいはその翌年にアレサ・フランクリンによって歌われて大ヒットした「(You Make Me Feel Like) A Natural Woman」も、耳には入れたかもしれませんが、すでに別れを告げていたあとに届けられた曲ということで、大瀧さんの心に響くことはなかったんでしょうね(自分も似たような経験はいくつもあるので、よくわかります)。

というわけで、高校に入ってブリティッシュ・ポップスを聴き続け、そして高校を卒業して、細野さんと出会ってからはバッファロー・スプリングフィールドや、その周辺の音楽を聴き続ける日々が続きます。で、「バッファローがわかった!」と細野さんに宣言したその日に細野さんから新しいバンドへの参加を要請されるんですね。それがもちろんのちにはっぴいえんどと名づけられることになるバンド。1969年9月6日のことです。

月日はさらに流れ、1971年の5月、はっぴいえんどは2枚目のアルバム『風街ろまん』のレコーディングを開始します。
そこで細野さんはこんな曲をレコーディングします。もともとは細野さんの提案でバッファロー・スプリングフィールドのようなバンドをめざすということではじめたにもかかわらず、バッファローの曲とはかなり肌合いの違った2曲。

ひとつが「風をあつめて」。



そしてもうひとつが「夏なんです」。



大瀧さん、これを聴いて、あれっと思ったでしょうね。
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by hinaseno | 2014-07-20 11:39 | ナイアガラ | Comments(0)