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by hinaseno
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有馬稲子が電車にはねられた踏切はどこにあったのか(その3)


『東京暮色』は観れば観るほど、面白さがどんどん増してくる不思議な映画。
ストーリー的にも映像的にも暗さを前面に出しているために、ついいろんなものを見逃してしまいそうになるのですが、何度か観ているうちに様々な仕掛けや小ネタのようなものにいくつも気づかされます。
笑えるところもいくつも。
もともとユーモアが大好きな小津のこと、暗い話の中で、どれだけユーモアを入れることができるかを試していたのかもしれません。逆にいえば、映画を観る側がどれだけそれに気づけるか、ということを試していたような気もします。

先日気づいたのはこのシーン。
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山田五十鈴が、亡くなった有馬稲子の霊前に花を手向けるために雑司ヶ谷の家にやってくるシーン。なんと家に着く直前に家の前をぶらぶらしていた犬が電信柱にオシッコをひっかけていたんですね。
これはたまたま起こったことなのか、犬を訓練させてやらせたのか、あるいはあそこにオシッコをする習性のある犬がいることを知ったので、笠智衆の家をあそこに設定したのか。いろんなことを考えてしまいます。
ただ、たまたま起こったことにしては、山田五十鈴は犬に絶対に気づいているはずなのに、全く気づいていないかのようにきょろきょろしながらこちらに向かって来ています。それも犬のオシッコと同じくらいにユーモラス。この後の山田五十鈴と原節子の深刻な会話を考えると、もし、たまたま起こったことならば撮り直しをしてもよさそうですが。
こういうのって、暗さ、深刻さの世界にどっぷりつかっていると気づかないですね。

さて、例の「珍々軒」のある踏切の話。

「珍々軒」のある踏切を、東京からはなれた鎌倉市大船の田園踏切で撮影したことについて、田中康義さんは次のように説明されています。
ラーメン屋の「珍々軒」も池上線沿線のさほど遠くない踏切の近くにあることになっています。しかし、事故が発生するという設定を東急が嫌ったのか、画になる場所がなかったためか、理由はわかりませんが、店の前のロケーションは、東京ではなく撮影所に近い鎌倉市大船の田園踏切で行なわれました。

最初これを読んだときには、「事故が発生するという設定を東急が嫌った」という可能性も、「画になる場所がなかった」という可能性もどちらもありそうな気がして、ふ〜んと思ったのですが、このあたりの風景がわかってくるにつれて、それとは別の可能性を考えるようになりました。
これは小津のかなり意図的なトリックなのではないかと。

「事故が発生するという設定を東急が嫌った」ということであるならば、あれほどにはっきりとわかるように東急池上線の「大崎広小路駅」を映すことはしないはず。それから踏切ではねられるということを嫌って、東急が何らかのことを言ってきて小津がそれに配慮したのであれば、例えば店を飛び出して車にはねられるとか別の方法がいくつも考えられたような気がします。でも、小津は踏切で電車にはねられることは変更していません。
それから「画になる場所がなかった」ということについても、結局撮影された場所は、松竹の撮影所のあった近くの踏切で、別に「画になる」ような場所とも思えません。踏切であればどこでもよかった、という感じです。

小津はもちろん池上線五反田駅から大崎広小路駅にかけてのあたりを『早春』のロケハンのときから何度も歩いていて、有馬稲子を孕ませた大学生、憲二の日頃の生活圏をはっきりとイメージしていただろうと思います。そしてそのあたりを通っている池上線はずっと高架であることも当然知っていたはず。もちろん歩いてか、あるいは池上線に乗って、高架がなくなって踏切が出てくる場所(大崎広小路1号踏切)も確認はしていただろうと思います。

昨日、ちょっとチェックしてみたら、有馬稲子が憲二を探して「珍々軒」を訪ねてきたときに、店の主人は「ここのところちょっときてねえな」と言いながら、「おととい」、憲二の住む大崎広小路駅の目の前の相生荘に出前を持って行ったことが語られています。
ほとんど毎日、店に通っていること、店に行けないときには出前をたのんでいることからも、やはり、その店が大崎広小路駅からはそんなに離れていない場所にあることがわかります。

まあ、それでも高架じゃなくなった線路のどこかの踏切ではねられたんでしょと言われてしまえばそれまでですが、映画では池上線の五反田駅から大崎広小路駅にかけての路線が高架であることを、いくつもの映像で示しています。そのあたりの風景を知らない人にもわかるように。

その高架の続いている鉄道の、あるはずのない踏切で電車にはねられる。

映画的な虚構の世界というよりも、やはり小津のかなり意図的なトリックと思わざるを得ません。
映画を観た人に対して、ところであなたは気づきましたか? 高架の鉄道なのに踏切で人がはねられてなくなっているということに、って茶目っ気たっぷりに笑っている小津の姿が浮かんでくるような気がします。小津の心の中には軽快な「サセレシア」の音楽が流れ続けていて。
暗い映画だというイメージにとらわれて目をそらしていては気づけるものにも気づけないという小津からのメッセージもあったのかもしれません。
あの踏切の向うにあえて眼鏡屋の、しかも目玉がはっきりと描かれた看板をわざわざ置いたのも、そんなメッセージを感じさせます。
あの看板の目はきっと何もかも知っているんでしょうね。
もしかしたら事故が起こった直後の看板の目はウィンクをさせているのではないかと思って、その部分を観直しましたが、片目は人の蔭で見えませんでした。このシーンのバックで妙な民謡のようなものが流れ続けていることにも今日気づきました。
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by hinaseno | 2014-07-13 10:25 | 映画 | Comments(0)