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「フィフティ・ナイン! ドリフターズ、 ゼア・ゴーズ・マイ・ベイビー」


結局、大瀧さんが最後まで語り続けられたのは「1959年」の物語だったな、と思う日々。1959年で終わる物語。

もし、アメリカン・ポップス伝パート5が放送されていたならば、もちろんそれは1959年から始まる物語。終わりは始まり。
その、最初にかけられたのは、きっとこの曲だろうと思っています。
ドリフターズの「ゼア・ゴーズ・マイ・ベイビー(There Goes My Baby)」。
リード・ヴォーカルはベン・E・キング。もちろん1959年の曲。



以前、「ゴー!ゴー!ナイアガラ」でかかった1959年の曲を調べていたときに、その曲についての大瀧さんのコメントをいろいろと聴いていましたが、このドリフターズの「ゼア・ゴーズ・マイ・ベイビー」のコメントはとても印象深いものがあって、それまであまり意識して聴くことがなかったこの曲が、俄然、僕の中でクローズアップされることになりました。

この曲がかかったのは、大瀧さんが一番好きなソングライターとして名前をあげたリーバー=ストーラーの特集。その第4回目の「ドリフターズ特集」でした。
大瀧さんは曲をかける前にこうコメントしています。
(リーバー=ストーラーは)だんだん今度はプロデュースの方に重要な役割を果たすようになるんですけども。で、次のヒット曲ですが、この曲がリズム&ブルースで初めてストリングスを使ったヒット曲になったと言われてます。そしてこれからのドリフターズの曲調というのを決定づけてしまいますし、なんといってもこの弦の感じというか、これが60年代に向かっての、ヒット曲のひとつの原型となったといっても過言ではない。

で、この言葉とともに曲がかかります。
「フィフティ・ナイン! ドリフターズ、 ゼア・ゴーズ・マイ・ベイビー」


曲が終わっての大瀧さんのコメント。
この59年のこの「ゼア・ゴーズ・マイ・ベイビー」のあとから、いろいろヒット曲出てきます。いわゆるドリフタリッシュ、ドリフターズっぽいというような言い方が向こうの方にときどき出てくるんですけど、いわゆるこの手の形なんですね、このバイオン的な、ちょっとラテンぽいリズムがバックについてて、ストリングスがギャーと入ってきて、例えば次の曲の、いかにもドリフターズらしい典型の曲と言えると思います。

というわけで次にかかるのが「ダンス・ウィズ・ミー」。やはり1959年の曲。



で、その「ゼア・ゴーズ・マイ・ベイビー」や「ダンス・ウィズ・ミー」をリーバー=ストーラーが作っていたときに、彼らのもとで下働きをしていたのがフィル・スペクターだったという紹介があって、ベン・E・キングがソロになったときのデビュー・ヒットとなったスペクターとジェリー・リーバーが共作した「スパニッシュ・ハーレム」、さらには「スタンド・バイ・ミー」がかかることになります。「アメリカン・ポップス伝パート5」では、避けて通ることのできないストーリー。
60年代の物語は、間違いなくドリフターズの「ゼア・ゴーズ・マイ・ベイビー」から始まるはずでした。でも、皮肉にも、結果的にこの曲は終わりの物語となってしまったのですが。
それについてはまた次回に。
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by hinaseno | 2014-05-16 09:41 | ナイアガラ | Comments(0)