Nearest Faraway Place nearestfar.exblog.jp

好きなリンク先を入れてください

Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
プロフィールを見る
画像一覧
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

「智ノ花なぁ、将来があると思ってるだろうけど、これが人生で一番いいときなんだぞ」


『レコード・コレクターズ増刊 大瀧詠一 Talks About Niagara Complete Edition』を先日ようやく購入。3年前に出たものに、その後のインタビューを付け加えた”完全版”。インタビューは雑誌掲載時にカットされた部分も含めたロング・ヴァージョン。

追加されたインタビューの中に読んでいなかったものがあってびっくり。昨年発売された『ナイアガラ・ソングブック』についてのインタビュー。こんなインタビューがあったとは気づきませんでした。インタビューが行なわれたのは『ナイアガラ・ソングブック』が発売される1か月前の2013年2月8日。つまりこの本に収録されたものとしては最新のインタビュー。これが興味深い話、驚きの話のオンパレード。

一番触れてみたい話は最後におくとして、今日は相撲の話。
大瀧さんが何かのたとえをするときに、もっとと多く使われるのが野球の話と相撲の話。聞いてみてもわからないことも多々ありますが。

今回のたとえの対象になった力士は智ノ花。
智ノ花と言われてもピンと来なかったので、ウィキペディアでちょっと調べてみたら、「いぞり」という珍しい技を使った力士ということで、少しだけ記憶が蘇りました。

智ノ花の角界入りは遅く、初土俵が27歳。6場所制になってからは最高齢とのこと。でも、順調に出世して2年後には新小結に昇進。その初日に曙と対戦するんですね。大瀧さんがたとえたのはそのときの話。
何のたとえとして語られているかというと、例の「はじまりが終わり」。

大瀧さんがご自身の最高の年と何度も語られている中学3年のとき(1963年)のエピソード。この対談のちょうど50年前ですね。
中3ときの卒業生を送る会の出し物で、初めて人前で歌ったという話。全校生(教師や保護者、来賓もいたんでしょうね)を前に、歌手としての大瀧さんがデビューしたわけです。
歌ったのはトニー・ベネットの「I Left My Heart In San Francisco」。この”The Loveliness of Paris”から始まるヴァース付きのヴァージョンだそうです。とても中学3年の子が歌う曲とは思えないですね。アメリカンポップスに夢中だった大瀧さんが、なぜこの曲を選んだのでしょうか。



結果は万来の拍手。
でも、大瀧さんはその1963年がご自身の歌手としてのデビューであり、そこで歌手として終わりだったと。つまりはもう歌は歌うことはないという話になっていくのですが、そこで智ノ花の話が出てくるんですね。
今さら喝采なんか浴びたってどうってことないっていう。中学時代に喝采を浴びる人生が終わってるんだよ。満足してるんだよ。

(50年前に)もう終わってたんだよ。僕の場合、デビューは終わりなの。智ノ花が曙に負けた一戦なわけ。金星ゼロ。ギリギリで物言いがついてひっくり返された。あのとき言ってたんだよ。智ノ花なぁ、将来があると思ってるだろうけど、これが人生で一番いいときなんだぞ…って。テレビの画面に向かって(笑)。そしたら、結果的にそうなっちゃったんだけどさ。そういうことって、実は世の中に多いんだよ。その人はたいてい”これからだ”と思ってるんだけど、これからと思ったときが終わりのときなんだっていうような体験を、63年の〈アイ・レフト・マイ・ハート…〉を歌ったときにしてるから…

読んで思わず爆笑。智ノ花のたとえはやや牽強付会気味ですが、ポイントは、はじめて曙と対戦するテレビ画面の智ノ花に向かって、大瀧さんが言われた言葉ですね。
「智ノ花なぁ、将来があると思ってるだろうけど、これが人生で一番いいときなんだぞ」

さて、これと同じような話が『レコード・コレクターズ増刊 大瀧詠一 Talks About Niagara Complete Edition』に付け加えられた別のインタビューにも出てくるのに気づきました。インタビューは雑誌掲載時に読んでいましたが、そのときにカットされた部分で語られていたもの。気づかれた人がどれだけいるでしょうか。それについてはまた次回に。
[PR]
by hinaseno | 2014-05-09 09:08 | ナイアガラ | Comments(0)