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by hinaseno
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「窓」をめぐる断章(その6)― 石段を登った先に見えたものは...


牛窓といえば本蓮寺、なんてことを何度か書いてきましたが、牛窓にある別のお寺の話を。

『あの人、この人 牛窓人物誌』の第一冊目に「住職」の話が載っています。黒井泰然さん。どこのお寺の住職だろうかと見たら、弘法寺。正確には千手山弘法寺遍明院。

弘法寺。
懐かしい気持ちがこみ上げてきました。

弘法寺があるのは牛窓といっても、海からはかなり離れた山の中にあります。
牛窓に行くには、大きく分ければ2通りのルートがあって、僕が行くのは夢二の生家の近くを通って錦海湾の塩田跡を横目に見ながら北から牛窓に入るルート。もうひとつ、西大寺から山を抜けて牛窓に入るルートもあります。こちらの方が牛窓に行くメインルートで、おそらくバスが通っているのはこちらだけのはず。
川本三郎さんはバスに乗ってこちらのメインルートを通って牛窓に行かれたようです。ちなみに安西水丸さんは夢二の生家の近くを通るルートを車に乗って牛窓に行かれています。

弘法寺はその西大寺から牛窓に入るルートの途中の山の中にあります。朱色の大きな山門が目印。
実家から自転車で行ける塔のあるお寺は、たいてい3回くらいは行っているのですが弘法寺に行ったのはたった一度だけ。その理由は...。

当時の僕たちの塔巡りの唯一のガイドブックになっていたのは岡山文庫から出ていた『岡山の建築』という本。表紙には安住院の多宝塔(内田百閒の随筆に出てくる「瓶井の塔」)が使われています。この本に弘法寺の多宝塔の写真が大きく載っています。
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「瓶井の塔」にも似ていて、なかなかいい形の多宝塔。実家のある町から弘法寺までは自転車をこいでいくには結構距離があったのですが、ぜひ行ってみようということになり3人くらいで行きました。
たぶん夏の暑い日(違ってるかもしれませんが)。着くまでに2時間近くはかかったでしょうか。かなりへとへとになった状態で山門を抜けて、塔や本堂のあるはずの場所に向かう石段を登ったら...。

そこにあったのは空っぽの広場。建物は何もありません。あったのはいろんな堂塔が建っていたはずの土台の部分だけ。落雷による火災ですべて焼失していたんですね。確か看板か何かに書かれていたと思います。
このときの僕たちの落胆の気持ちといったら。今でもはっきりと覚えています。
弘法寺が焼失したのは昭和42年(1967年)。『岡山の建築』が発行されたのは、その昭和42年12月。間に合わなかったんでしょうね。ちなみに僕が持っているのは昭和48年発行の第8刷なのですが、訂正も補足もなくそのまま載っています。

というわけで弘法寺に行ったのはそれっきり。お寺の前を通ることもなくなりました。
その弘法寺。多宝塔などが焼失したその昭和42年に保育園ができていたんですね。当時としてはかなり充実した保育園とのこと。それ以来、黒井泰然住職は幼児教育に力を注がれてきたそうです。

黒井さんの文章の最後はこんな素敵な言葉でしめくくられています。久しぶりに弘法寺に行ってみたくなりました。
 弘法寺への坂道を上がると、報恩大師が眠る永倉山の三つの峰を仰ぐことができる広場がある。そこから遍明院の境内へと続く石段の脇に楠の巨木がある。
 冬の寒風に耐えて青葉を茂らせ、春には静かに葉を落とし次のいのちへ繋ぎ、夏には安らぎの木陰をつくる。仏陀がかざす掌のような一本の樹がある。

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by hinaseno | 2014-05-02 10:24 | 雑記 | Comments(0)