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「窓」をめぐる断章(その5)― 井伏鱒二の「備前牛窓」


『あの人、この人 牛窓人物誌』は現在まで3冊発行されていました。1冊目の発行が2012年1月1日、その後、1年に1冊ずつ。3冊目が発行されたのが今年の2月。発行したのは「牛窓再発見の会」。
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こんな会があったんですね。
あとでわかったことですが、数年前に牛窓の喫茶店で見つけて買った牛窓の伝説を絵本にした『牛転(うしまろび)の話』という本も発行は「牛窓再発見の会」でした。

「牛窓再発見の会」が発足したのは1988年。『あの人、この人 牛窓人物誌』は「牛窓再発見の会」の25周年を記念しての企画だそうです。ただし、...。

寿司勝さんで3冊を買い求めて、一人ずつの物語を読み進めました。どの方々も語るに足る物語をもたれています。ちなみに取り上げられている人の名前に添えられた「肩書き」を並べてみると、俳人、漁業、画家・教育者、住職、婦人運動、写真館、宮司、観光、写真家、ペンションライフ、備前焼、安心野菜、時代を見つめて、英語教育と登山、作曲家、郷土と共に、木造船棟梁、民宿、観光ボランティア、写真家、郷土料理、幼児教育、ペンション、最後の町長。

読んでいて、あっと思った方がいました。
岡崎さんという女性。「肩書き」は婦人運動となっていますが、牛窓で長い間新聞配達店をされていて、その仕事のかたわら婦人会の活動をされていたそうです。
この方の話の中に、なんと木山捷平と関わりの深い井伏鱒二のことが書かれていました。「静養にきていた作家の井伏鱒二と親交」があったと。

井伏鱒二はある時期、牛窓に滞在してたんですね。調べてみたら、それについて書かれた「備前牛窓」というエッセイがあるのがわかりました。早速読んでみたら、そこに「岡崎さん」の名前が。「新聞取次所の岡崎さん」と書かれています。偶然のつながりに驚くばかり。

詳しくは調べきれませんでしたが、井伏鱒二が牛窓に滞在していたのはおそらく1974年の12月下旬から1975年の2月下旬。ちょうど冬の一番寒い時期。
きっかけは何年か前から気管支ぜんそくになっていた井伏が寒い冬を凌ぐための転地場所を探していて、岡山の親戚に手紙を書いたんですね。かなり長い手紙で、いろいろな条件を書き並べたようです。で、その条件にあった場所として紹介されたのが牛窓だったと。
実際、井伏は気温に関して「暮から二月末までに底冷えするといったような日は一度もなかった」と書いています。でも、気温に対しての満足以上に、牛窓で関わった人たちに対して抱いた好感の気持ちが文章全体にあふれています。

井伏は牛窓を気に入ったので、東京に戻った後、5月くらいにもう一度牛窓を訪ねようと考えます。ところがそんな矢先の4月に牛窓で山火事が起こったとのこと。心配した井伏が電話をかけたのが「新聞取次所の岡崎さん」。岡崎さんは内科医を始め、いろんな人を井伏に紹介されています。井伏が岡崎さんを信頼していたことがわかります。

ところで、井伏の「備前牛窓」に出てくる「正蓮寺」というのは本蓮寺の間違いでしょうね。井伏が誤って覚えたのか、あるいは井伏が原稿用紙に書いた字を活字に起こすときに間違ったのか。牛窓には「正蓮寺」という寺は当時もなかったはず。
本蓮寺は牛窓のシンボルでもある三重塔のあるお寺です。海側から見ても山側から見ても、そして町中から見ても絵になります。
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by hinaseno | 2014-05-01 10:43 | 雑記 | Comments(0)