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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
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「カナリア諸島にて」と「Go Away Little Girl」(6)


a0285828_9343263.jpg昨日知ったことなのですが、今、ブロードウェイでまさにキャロル・キングの初期のスタッフライター時代をテーマにしたミュージカルが行なわれているんですね。死ぬほど見てみたい。
一昨日聴いた「ゴー!ゴー!ナイアガラ」の第58回の中で、大瀧さんは「古い昔の曲をかけていっしょになつかしがりましょうというつもりは全くない」と話されていました。僕もここに「カナリア諸島にて」とキャロル・キングのことを書きながら、新しい発見をいくつもしています。こんなにキャロル・キングのことを好きになったのははじめてというくらい、彼女の、特にスタッフライター時代の曲にはまってしまっています。たぶん、今、行なわれているミュージカルを見て、もちろん昔をなつかしがる人が何人もいると思いますが、そこから新しい何かを発見する若い世代もたくさんいるんじゃないかと思っています。

そういえば昨日、ずっと前に買って一回見たきりで、もう10年以上も見ていない、キャロル・キングのいたアルドン・ミュージックのあったブリルビルディングに関わっていた人たちのドキュメンタリーである『The Songmakes collection』というDVDを見ました。字幕もないので、何を言っているのかほとんどわからないのですが、でも映像を見るだけでもわくわくします。貴重な映像満載。
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例えば、これはバリー・マン、シンシア・ワイル、キャロル・キング、ジェリー・ゴフィン(Gerryを大瀧さんはゲリーと発音していましたが、ジェリーが正しい発音のようです)が一堂に会して昔の思い出話をしている場面。 キャロル・キングとジェリー・ゴフィンは離婚して何年も経っているのですが、普通に話しています。
このDVDで最も興奮するのは、なんといってもキャロル・キングが、アルドン・ミュージックの小さな部屋でピアノを弾きながらジェリー・ゴフィンと曲作りをしている映像。まだ詞のついていない曲をかなり大きな声で歌っています。作詞家であるジェリー・ゴフィンもいくつかアドバイスをしたり。
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でも、こんな大きな声で、たぶん壁の薄かった部屋で曲作りをしていたら、となりの部屋で曲作りをしている人に、相当影響を与えたでしょうね。そんな話しもしてます。

さて、日本で、キャロル・キングのスタッフライター時代の初期作品のことを語っているのは、結局、大瀧さんしかいなかったのかもしれません。
僕がはじめてキャロル・キングの音楽についての大瀧さんの言葉を読んだのは『レコードコレクターズ』という雑誌の1995年1月号。
ここではじめてキャロル・キングの特集が組まれたんですね。その中に大瀧さんは「日本のポップスの歴史と私のキャロル・キング」と題した相当長い文章を寄稿されていました。これは必読です(3年前に出たレコード・コレクターズ増刊『大滝詠一 Talks About Niagara』にも再録されています)。

実は正直にいうと、最初読んだときにはちんぷんかんぷん。その前に大瀧さんの分母分子論を読んでいたとはいえ、それを理解していたわけではありませんでしたから。でも、キャロル・キングの初期作品集のことを語るにはどうしても教条的にならざるを得ないようです。大瀧さんの捉え方の中では、キャロル・キングの音楽は、学校で教える「唱歌」と同じ位置づけのものでしたから、教条的な話になってしまう。有名な曲だけを並べて「いっしょになつかしがりましょう」とはしない。その目的ははっきりしています。
それをしないと、”自分の”音楽を”正しく”理解してもらえないから。
タイトルが「日本のポップスの歴史とキャロル・キング」ではなく「私の」が入っているところが最大のポイントですね。本当はここに書かれたことを全部引用したいのですが、さすがに大変なので、その長い前置きの後、最後のページに書かれていることを引用しておきます。
シンガー・ソングライターとして復活してからのキャロル・キング論は書かれるようになりましたが、60’sポップスの作家としての〈論〉の対象になるには、そのような時代背景からさらに時間がかかりました。75年6月にスタートした私のDJ番組「ゴー!ゴー!ナイアガラ」の記念すべき第1回目は『キャロル・キング特集』でスタート、続いて他のポップスのライター達、ジェフ・バリー、エリー・グリーニッジ、バリー・マン、ニール・セダカ等も次々と特集しました。そして、もし成功しなかったら私の〈引退アルバム〉となっていたであろう『ロング・バケーション』(81年)は、彼らに育てられた証しを〈最後に〉作ろうと企画されたアルバムでした。中で一番最初に作った「カナリア諸島にて」で使用した、ジャズのスタンダードでよく耳にするところの、ポップスの黄金のコード進行に私がはじめて出会ったのはキャロル・キングの「ゴー・アウェイ・リトル・ガール」(63年、歌=スティーヴ・ローレンス)でした、このコード進行から生まれた(使われている)スタンダード曲は世界中に星の数ほどありますが、日本でヒットした曲といえば、橋幸夫の「雨の中の二人」(66年)ぐらいしかありませんでした。「カナリア...」発表当時、それへの類似を書かれたこともありましたが、ポップス黄金律の中でも頻度の高いものを〈橋幸夫〉でしか体験したことのない非常に貧しいポップス体験の人でも〈ポップス〉を語れる状況になったのだな、と思ったものでした(蛇足ですが「カナリア...」には「ゴー・アウェイ...」からの〈直接〉の影響はありません)。
このコード進行はキャロル・キングお得意の路線で下が、「ゴー・アウェイ...」以前に彼女の名義で発表した”It Might As Well Rain Until September”で既に使っていたものです。このパターンは60年代初期のヒット・ソングでは石を投げると必ずぶつかるくらいのかなりの頻度で使われたものですが、現在では日本ポップスの黄金律の一つとなったようです。元々はジャズは〈発見した〉黄金律ですから、それを〈使うか、使わないか〉の問題ではなく、どう使うかが最大のポイントで、その料理の仕方、見事な使い方をしたものにのみ〈ポップス〉という名称が与えられる、というのが私の解釈です。

ここに書かれている「ポップスの黄金律」を(おそらくは意図的にわかりやすく)使って作ったのがまさに「カナリア諸島にて」と「Velvet Motel」と「君は天然色」、さらに付け加えるならば、大瀧さんがA面全曲を作曲・プロデュースした松田聖子の『風立ちぬ』の"1曲目"の「冬の妖精」でした。
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by hinaseno | 2014-01-31 09:39 | ナイアガラ | Comments(0)