Nearest Faraway Place nearestfar.exblog.jp

好きなリンク先を入れてください

Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
プロフィールを見る
画像一覧
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

十二月の旅人たちと...


「始まりが終わり・終わりが始まり」

そんなことを考えた一日。

昨日、1月4日、大瀧さんの葬儀が行われたようです。
そんな昨日の朝、ちょうど昨日のブログを書き終えた直後に、エヴァリー・ブラザーズの弟のフィル・エヴァリーの訃報が飛び込んできました。
エヴァリー・ブラザーズといえば、僕にとっては何といってもキャロル・キングの作ったこの「Crying In The Rain」でした。これを初めて聴いた時の”新鮮な”驚きは今でも忘れない。



初めて聴いたのは1984年1月12日。大瀧詠一さんと山下達郎さんによって長らく続けられた「新春放談」の記念すべき第1回目の放送の初日にかけられた曲。大瀧さんの曲が2曲、それから達郎さんのいたシュガー・ベイブの曲が1曲かけられた後にかかっています。
僕のアメリカン・ポップスの旅はまぎれもなくこの「新春放談」が始まり。その最初の最初がエヴァリー・ブラザーズの「Crying In The Rain」だったわけです。
曲が作られたのは1961年。まさにアメリカン・ポップスが誕生した年といえるのかもしれません。僕にとって最も大切な年。

大瀧さんのアメリカン・ポップス伝は、前回のパート4で1960年まで辿り着いていました。さあいよいよ、だったんです。すでにキャロル・キングもエヴァリー・ブラザーズも登場していたとはいえ、はたしてどんな形で「Crying In The Rain」が紹介されるのか、ちょうど30年前に始まった僕のアメリカン・ポップスの旅がいよいよ、というところでしたが…。
もうそれは永遠に聴けなくなりました。そして、フィル・エバリーまで…。

ちょっと気が滅入ったので、気分転換にとランニングすることに。
ランニング中に聴いていたのは大瀧さんの「ゴー!ゴー!ナイアガラ」の第1回目のキャロル・キング特集でかかった曲を並べたもの。そこには1961年に作られた、あるいは発表された曲がずらっと並んでいます。1曲目はThe Shirellesの「Will You Love Me Tomorrow」。
曇っていましたが雨は降っていないだろうと思っていたのに、外に出たら冷たい雨。ああ、まさに「Crying In The Rain」。
やめようかと思いましたが、まあいいかと走りました。
走っている途中で、ふとあることに気づきました。
そういえばリッキー・ネルソンも年末に亡くなっていたのではなかったかと。
後で調べたらやはり。12月31日。

1984年1月12日の第1回目の「新春放談」のとき、その数年前に大瀧さんと達郎さんがラジオの特番でエヴァリー・ブラザーズの「Crying In The Rain」をデュエットしたことを知りました。でも、確か達郎さんはその録音したテープが見つからないということで、それを聴くことができませんでしたが、1986年の「新春放談」の3回目のときに、テープが見つかったということで二人のデュエットした「Crying In The Rain」を聴くことができました。



その新春放談の翌週、達郎さんはリッキー・ネルソンの追悼特集をします。放送されたのは1986年1月30日。リッキー・ネルソンはその前年1985年12月31日に亡くなったんですね。僕はリッキー・ネルソンのことを知らないわけではなかったのですが、そのとき初めてリッキー・ネルソンの曲をいろいろと聴き、そのすばらしさに目覚め、いっぺんにファンになってしまいました。
そんなこともあってエヴァリー・ブラザーズとリッキー・ネルソンは、僕にとってのアメリカン・ポップスの2つの大きな柱になったんですね。どでかい箱入りのCDがいくつもあります。

そういえば、そのリッキー・ネルソン特集で、リッキー・ネルソンに「A Long Vacation」というタイトルの曲があることも知りました。僕が大瀧さんのファンになるきっかけとなり、アメリカン・ポップスに夢中になるきっかけとなった『A LONG VACATION』というアルバムのタイトルが、リッキー・ネルソンの曲からとられていることを知ったのが、リッキー・ネルソンが亡くなった直後だったわけです。
そしてそのリッキー・ネルソンの命日に大瀧さんが亡くなったことを知り、大瀧さんの葬儀の日にエヴァリー・ブラザーズのフィルが亡くなったことを知ったという。何てことなんだろうと思いました。

昨日の夕方、葬儀に参列された松本隆さんが大瀧さんを追悼するメッセージをツイートされました。それがあまりに感動的なもので、思わずこみあげてくるものがありました。
そのメッセージをここに掲載しておきます。
今日、ほんものの十二月の旅人になってしまった君を見送ってきました。 ぼくと細野さんと茂の三人で棺を支えて。 持ち方が緩いとか甘いなとか、ニヤッとしながら叱らないでください。
眠るような顔のそばに花を置きながら、 ぼくの言葉と君の旋律は、こうして毛細血管でつながってると思いました。 だから片方が肉体を失えば、残された方は心臓を素手でもぎ取られた気がします。
北へ還る十二月の旅人よ。ぼくらが灰になって消滅しても、残した作品たちは永遠に不死だね。 なぜ謎のように「十二月」という単語が詩の中にでてくるのか、やっとわかったよ。 苦く美しい青春をありがとう。

この中の「十二月の旅人」というのは、もちろん『A LONG VACATION』の最後に収められた「さらばシベリア鉄道」の詩に出てくる言葉。夏のアルバムと認知されている中で、ただ一つだけ冬をテーマにした曲です。



この日のブログで書いたことにも重なりますが、はっぴいえんど解散以後、しばらく関係が途絶えていた二人が、久しぶりに共作を開始したのが『A LONG VACATION』でした。でも、その途中で松本さんの家族に不幸が起こります。妹さんが病気で亡くなられたんですね。
発売予定日(1980年7月28日。大瀧さんの誕生日です)も決まっていたので、松本さんは別の作詞家に替えてもらうように大瀧さんに頼みます。でも、大瀧さんは発売日を半年以上も先に延ばし松本さんの復帰と精神的な恢復を待つことにします。
で、大瀧さんは当初の発売予定日を過ぎた8月末にレコーディングを再開。その最初に録音されたのが、後に「さらばシベリア鉄道」になる曲でした(このレコーディングに、のちにナイアガラトライアングルを組むことになる佐野元春さんが伊藤銀次さんといっしょに見に来ます。佐野さんは大瀧さんのレコーディングを見て、これからは自分の曲は自分でプロデュースしなければならないことを決意するとともに、「サムデイ」のサウンドをそこで得ることになる)。
そして、おそらく大瀧さんから渡されたオケを聴きながら、松本さんは「十二月の旅人」との言葉の入った「さらばシベリア鉄道」の詞を書き上げます。最愛の妹さんの死という悲しい出来事があったからこそ生まれたといえるかもしれない詞。

それにしても「十二月の旅人」というのは、今、改めて考えてみると不思議な言葉です。松本さんも"謎のように"「十二月」という言葉が出てきたと書かれています。
「十二月」といえば、はっぴいえんどというグループを結成して、はじめて2人が作ったのが「十二月の雨の日」。始まりの曲が「十二月」で、妹さんが亡くなった後に作られた曲に詞をつけたときに「謎のように」出てきたのが「十二月」、そして…、
大瀧さんが旅立たれたのが「十二月」...。

始まりが終わり、終わりが始まり。“ナイアガラ双六”的ストーリー。
村上春樹の『ノルウェイの森』の中の例の有名な言葉にならえば、
「終わりは始まりの対極ではなく、その一部として存在している」、あるいは
「始まりは終わりの対極ではなく、その一部として存在している」。
そんなことを考えさせらた一日でした。
a0285828_20334779.jpg

[PR]
by hinaseno | 2014-01-05 20:34 | ナイアガラ | Comments(0)