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荒川小学校の木山さん(7)


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再び、「荒川小学校の木山さん」です。もう少しだけ書いておきたいことがあります。
その前に、今日もテレビ番組の紹介を。
今夜7:30からBSプレミアムでこのブログでも何度か紹介した作曲家中山晋平の特集が放送されます。なんと一時間半も。
中山晋平は野口雨情とのコンビでいくつも童謡をかいています。そんな童謡の話、それからもちろん「船頭小唄」の話も出てくるはず。

そういえば中山晋平は姫路のお隣のたつの市の「龍野小唄」という民謡をかいたことを以前かきましたが(作詞は西條八十)、残念ながらオリジナルはいまだに聴けていません。調べてみると「龍野小唄」には(一)と(二)があるそうで、いずれもタイヘイ・レコードからSP盤が出ています。M盤と呼ばれるものみたいですね。番号がM1636(X3382)とM1636(X3383)なのでA面に(一)、B面に(二)が録音されているんでしょうか。
歌っている人は喜久丸。編曲は山田喜四郎。

ところで「荒川小学校八十周年記念誌」に載っている卒業生の思い出を読んでいたら興味深い話がありました。大正2年に入学された苫編の八木さんの話。八木さんは大正8年卒で、木山捷平が荒川小学校にやって来るのはその10年ほどあとになるので、木山さんとは直接関わりをもっていません。ただ、この八木さんの過ごされた荒川小学校の風景、あるいは子供たちの生活の様子は木山さんがいた頃とそんなには変わっていなかっただろうと思います。
八木さんはかなり長い思い出話を書かれていて、そのどれもが興味深いものばかりなのですが(もちろんポプラの話も出てきます)、その中にこんな話が出てきます。
松井須磨子演ずる復活の主題歌「カチューシャ可愛いや別れのつらさ」の歌とか、卒業前、船頭小唄「おれは河原の枯れすすき」の哀調をおびた歌が全国に流行し、幼い私共も聞きなれて登下校の途中、上級生とともによく歌った。

松井須磨子が『復活』という劇の中で歌った曲のタイトルは「カチューシャの歌」。歌詞の中の「カチューシャ可愛いや別れのつらさ」は流行語にもなっているんですね。

作詞は島村抱月と相馬御風、作曲は中山晋平。曲が作られたのは大正3年。

それからもう1曲は例の「船頭小唄」。やはり中山晋平の曲。曲が作られたのは大正10年(最初は「枯れすすき」というタイトル)。レコードになったのは大正12年。八木さんは小学校の卒業前に歌ったと書かれていますが、ちょっと年代にずれが...。
でも、荒川小学校という姫路の外れの村の学校に通っていた大正時代の子供たちが登下校時に、当時流行していた中山晋平の歌謡曲を歌っていたというのはとても興味深い話です。
きっとこの数年後、つまり木山さんが荒川小学校にやってきた頃の子供たちはきっと
「シャボン玉」(大正11年)とか「黄金虫」(大正11年)とか「兎のダンス」(大正13年)とか「証城寺の狸囃子」(大正14年)とかといった野口雨情と中山晋平が作った童謡を登下校時に歌っていたにちがいありません。

これは「荒川小学校八十周年記念誌」に載っている大正12年卒の塚原さんの四・五年の頃の写真です。木山さんがいた頃の子供たちもだいたいこんな感じの服装だったんでしょうね。
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この方はのちに新聞社に勤められたようで、やはりとても興味深い話をいくつも書かれています。一番興味深いのは木山さんと同時期に荒川小学校にいた田村顕二先生(タムケンですね)と鶴見幾二先生の話が出てくること。お二人とも荒川小学校に長く勤められていたので、思い出話を書かれている方が多いのですが、熊見先生は特に多いですね。スポ―ツマンでかっこよかったみたいです。こんな話も。
熊見先生は、私が高等科一年のときの担任で、師範学校を卒業したての新進気鋭であったと思う。スポーツが好きで、体操(今の体育)の時間には、当時ようやく流行しはじめたランニングシャツにランニングパンツ姿で、飛魚のように動き回っておられた。その若さと斬新さ、男らしさに、高等一年の女子の中には、師弟の感情を越えた感情をもつものもあって、時にはクラスの中に話題をにぎわすこともあった。

果して木山先生は?
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by hinaseno | 2013-09-22 10:18 | 木山捷平 | Comments(0)