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荒川小学校の木山さん(1)


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はじめに地図を貼っておきます。現在の国土地理院の前身である大日本帝国陸地測量部が大正十五年に発行した姫路市南部の五万分の一の地図。大正十二年に修正測図と書かれています。
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この地図を見つけたのは神戸の海文堂書店。姫路の市街地の古い地図はネット上も含めていくつもあるのですが、姫路の南部の古い地図を見かけたのは初めてでした。木山さんが姫路にいたのが大正11年と、昭和2年から4年にかけてのことでしたから、まさに木山さんが姫路にいた頃の姫路の様子を正確に表した地図です。本当は二万五千分の一であればもっとよかったのですが、この時代にそういうのが存在していたかどうかはわかりません。とにかく、見つけることができただけで本当に幸運でした。

貼り付けた部分の右端を流れているのが市川、左端を流れているのが木山さんの小説のタイトルにもなっている夢前川、そして中央付近を蛇行して流れているのが船場川(舩場川と記載されています)。
地図記号を見ると、現在は存在しないものもあります。例えば「師団司令部」とか「旅団司令部」とか。いずれも右上の姫路の城内に置かれていますね。
地図の左上には先日触れた「蒲田」があります。「南畝」は市街地に近いので書かれていないですね。姫路駅の「ひめぢ」と書かれている辺りになります。
この地図で示された地域は現在では全て姫路市になっていますが、当時は飾磨郡。ところどころに集落がある程度で、田園が広がっています。

さて、この地図の真ん中あたりに赤で四角に囲んでいるのが荒川村。ここも当時は姫路市ではなく飾磨郡荒川村。そのそばに赤丸で囲んであるのが荒川小学校。現在の荒川小学校とは道をはさんで反対側にあります。場所がちょっとだけ変わっているんですね。
木山さんはこの荒川小学校に昭和2年4月から昭和3年3月の一年間勤務していました。僕が木山捷平に関心を持ったのも、きっかけは多少縁のある荒川小学校に勤めていたのがわかったからです。
木山さん関係で僕が発見できたらと最も強く思っているものがあるとすれば、それは木山さんが荒川小学校に勤めていた確かな痕跡。写真であるとか、当時の職員名簿であるとか。
でも、前に荒川小学校に伺ったときに、仮に存在していたとしても、それらは全て焼失しまったということでした。

木山さんが荒川小学校に勤務していたときに最初に住んでいたのは、そのちょっと南の、線路を越えたところにある町坪(ちょうのつぼ)。学校で用意された家だったんでしょうか。でも、木山さんはまもなくそこを離れて市街地に近い姫路市千代田町に移ります。ちょうど「紡織工場」と書かれているあたり。木山さんの姫路時代の数少ない友人のひとりであった坂本遼は、木山さんの第一詩集の『野』の序文で「私は去年の今頃、ぬけ出してはじめて紡績の町の木山さんをたづね」と書いています。木山さんはそこから2kmほど毎日線路沿いを歩いて荒川小学校に通っていたんでしょうね。僕にとってあまりにも近しい風景の中を木山さんが今から86年前に歩いていたわけです。
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by hinaseno | 2013-09-14 09:08 | 木山捷平 | Comments(0)