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by hinaseno
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伝説の「長畝川」と「あまちゃん」のこと(1)


予想通り、と思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、昨日の最後に書いた、『播磨国風土記』に名前が載っているという長畝川のことを少し調べました。川のことになると、どんなに小さな川であれ、というか小さな川だからこそ調べたくなってしまうんですね。

ここで唐突に話はそれるのですが、僕は何かをパソコンで検索するときに、まず画像検索をしてみることが多くなっています。そうすると意外な発見があったりするんですね。ほとんどはどうでもいいことなのですが、ときどきは、はっとするような発見があります。
例えば、「1903年のオハイオ州デイトン」を書いていたときに、画像検索して、いくつもの飛行機の画像を見つけたことで、ライト兄弟のことを発見することができました。
昨日はというと、なんと「あまちゃん」でした。わかる人にはわかるんでしょうね。でも、僕は”そのこと”を全く知りませんでしたから、へえ〜っ、でした。

「あまちゃん」といえば、先日のアメリカン・ポップス伝で、大瀧さんが「あまちゃん」の話をちらっとされたんでちょっとびっくりしました。見てないとわからないような言葉も使われていました。僕は見ていないので、その”喩え”がピンと来なかったのですが。

さて、木山捷平と何らかのつながりがあったはずの南畝町の名前の由来になった長畝川(ナガウネガワ)。今はその名前の川は存在しません。古代から中世にかけて、川というものは流れを何度も変え、支流を作っては、その支流が本流となったり、あるいはいつの間にか支流が消えていたりとかを繰り返して来たはず。でも、一つ面白いことがわかりました。長畝川は、僕がいちばん最初のブログで書いた船場川の支流であったということが。
じぇじぇじぇ! でした。

そういえば以前、船場川は市川から枝分かれした川と書きましたが、その後で調べたら、どうやらもともとは現在の船場川が流れている方が市川の本流で、現在の市川は支流だったということです。
その古代は本流であった船場川から枝分かれして現在の南畝町のあたりに流れ込んでいたのがどうやら長畝川。時代によっては鹿間川、あるいは飾磨川と呼ばれたみたいですね。
これは柳沢忠著『船場川の流れ』(昭和57年発行)に載っていた、古図をもとにして筆者が作成したと思われる、姫路市内を流れていた昔の市川水系を描いたものです。南畝と書かれているところに流れ込んでいる飾磨川と書かれている川が長畝川と呼ばれた川。
a0285828_9563755.png

ではその長畝川は船場川とどの辺りで枝分かれしたかというとおそらく今の十二所線と呼ばれる国道と交わる辺り(下の地図の赤丸で示した場所)。そこから水色の矢印で示した南東に流れて行ったと思いますが、現在の地図上では何の流れ確認できません。
a0285828_9574126.png

ところが面白いことに久保町の辺りで突然流れが現れ、さらに南畝町ではっきりと川の流れが出てきています。ということは矢印の辺りは暗渠になっているということ。
ちなみに下の写真は、地図のオレンジ色で示した辺りで撮った川の写真です。川幅は1m余り。
a0285828_95756100.jpg

実は昨日最後に触れた、僕の住んでいる家のすぐ近くを流れてる細流がまさにこの川につながっているんですね。その細流は二本あるのですが、二本ともこの南畝町から流れてくる川につながっていました。
下の写真がその近所を流れている二本の細流。川幅は1mあるかないか。でも、死体が一体くらいは流れることはできます、なんて馬鹿なことを言ってはいけませんね。
a0285828_1001461.jpg

a0285828_1002843.jpg

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Commented by 39nemon at 2013-09-12 01:16 x
"あの川"にも続くってこと?
by hinaseno | 2013-09-11 10:00 | 雑記 | Comments(1)