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by hinaseno

『罹災日録』―真実の『断腸亭日乗』(2)


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昭和20年(1945年)6月29日未明の岡山大空襲は、『断腸亭日乗』にも書かれている通り、空襲警報が鳴らない中で突然始まりました。当時、荷風の滞在していた松月という旅館の北の弘西小学校近くに住んでいた父からも、その日空襲警報が鳴らなかったことは何度も聴かされました。
空襲が始まったのは午前2時43分。荷風は最初の爆撃の音で目覚めただろうと思います。すぐに荷物をまとめて旭川の堤の方へ逃げます。
改めて空襲の日の『断腸亭日乗』を引用します。
六月廿八日 晴。旅宿のおかみさん燕の子の昨日巣立ちせしまゝ帰り来らざるを見。今明日必異変あるべしと避難の用意をなす。果してこの夜二時頃岡山の町襲撃せられ火一時に四方より起れり。警報のサイレンさへ鳴りひゞかず市民は睡眠中突然爆音をきいて逃げ出せしなり。余は旭川の堤を走り鉄橋に近き河原の砂上に伏して九死に一生を得たり。

地図上でこのときの荷風が避難した進路を予測すると、旭川の堤に出るまでの進路は正確にはわからないにしても、だいたいこの赤の矢印で示したようになると思います。
『罹災日録』―真実の『断腸亭日乗』(2)_a0285828_93623.png

旭川西岸の堤を北上して(僕の父親もそこの堤を北上して逃げました)、山陽本線の鉄橋のあたりで河原に下り、そこで空襲が終わるまでずっと臥せていた。その場所が青色の点線で示したあたりと予測できます。

僕は数年前に初めて『断腸亭日乗』を読んでから、旭川のその場所をずっと荷風が避難した場所と考えていました。そしてほんの数分間ではあるにせよ僕の父親と同じ場所を走っていたという想いを抱き続けてきました。

でも、実際には違っていました。
その日の『罹災日録』には全く違った事実が書かれていました。まさに「九死に一生を得たり」の状況がそこにはありました。
6月28日の『罹災日録』の初めの部分を引用します。
六月廿八日 晴。宿のおかみさん燕の子の昨日巣立ちせしまゝ帰り来らざるを見、今明日必ず災異あるべしとて遽に逃走の準備をなす。果せるかな。この夜二時頃岡山の市街は警戒警報の出るを待たずして猛火に包れたり。予は夢裏急雨の濺来るが如き怪音に驚き覚むるに,中庭の明るさ既に昼の如く,叫声跫音街路に起るを聞く。倉皇として洋服を着し枕元に用意したる行李と風呂敷包とを振分にして表梯子を駆け降りるより早く靴をはき、出入の戸を排して出づ。

「燕の子」の話は『日乗』に数日前から何かを予感するように書かれていました。空襲警報は鳴りませんでしたが、荷風はすぐに逃げ出せる準備はしていたんですね。何度かの空襲を経験していたからだと思います。『罹災日録』はこう続きます。
火は既に裁判所の裏数丁の近きに在り。県庁門前の坂を登りつゝ、逃走の男女を見るに,多くは寝間着一枚にて手にする荷物もなし。これ警報なくして直に火に襲われしが故なるべし。

当時の裁判所は松月の玄関を出て、正面西にありました。そこの後方に火が迫っていたんですね。荷風は東の方向の当時の県庁の前の坂を登って行きます。ここは現在の岡山県立美術館や天神山文化プラザなどがある場所。名前の通りそこは天神山と呼ばれる小高い岡になっている所で、僕も歩いたことがありますが、かなりの坂道。『断腸亭日乗』には書かれていない、逃げている人々の姿も描かれています。

で、荷風はそこを通り過ぎて旭川にかかっている橋の袂にやって来ます。『罹災日録』には「旭橋」という名前が出てきます。ただ「旭橋」という名前の橋はありません。これは地図を見ればわかるように鶴見橋のこと。その向こうには蓬莱橋も架かっています。
荷風は数日前、ここを散歩していたときにも蓬莱橋の名前は確認していましたが(西大寺鉄道の後楽園駅を発見した日ですね)、鶴見橋の名前はどうやら確認しなかったようです。おそらく旭川にかかっている橋ということで「旭橋」という名前にしたのではないかと思います。
いずれにしても、この場所までは『断腸亭日乗』に書かれていることから予測できる進路。でも、このあと驚くべきことが書かれていました。
旭橋に至るに対岸後楽園の林間に焔の上るを見しが、逃るべき道なきを以て橋をわたり西大寺町に通ずる田間の小径を歩む。

なんと荷風は鶴見橋、蓬莱橋を渡って旭川の対岸に行ってたんですね。地図で示すと青い矢印で示した方向になります。本当にびっくりしました。
『罹災日録』―真実の『断腸亭日乗』(2)_a0285828_9403659.png

荷風は鶴見橋、蓬莱橋を渡って、旭川の東、つまり「旭東」に行き、西大寺鉄道の線路沿いに、百間川の方向に向かって逃げていたんです。
by hinaseno | 2013-06-20 09:42 | 文学 | Comments(0)