Nearest Faraway Place nearestfar.exblog.jp

好きなリンク先を入れてください

Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
プロフィールを見る
画像一覧
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

小津安二郎の『早春』と『断腸亭日乗』(最終回)


a0285828_1333430.jpg

『早春』の配役を決定した翌日から、小津は谷崎潤一郎の作品を集中的に読みます。興味深いのは最後に読んだ2冊。最初に読んだのは全て小説ですが、最後に2冊のエッセイを「再読」しています。
11月17日に『青春物語』、11月20日に『初昔 きのふけふ』。
実はこの『青春物語』と『きのふけふ』に興味深い、共通した内容のことが書かれてありました。小津は谷崎のいくつかの作品を読んでいるうちに”それ”を思い出して、確認するために「再読」したんだろうと思います。

『青春物語』は昭和7年9月から昭和8年3月にかけて「中央公論」に連載したもの、それから『きのふけふ』は昭和17年6月から11月にかけて「文藝春秋」に連載したものをまとめたものです。
この2つの作品には、実はどちらにも永井荷風との出会いを描いたエッセイが収められています。
『青春物語』は、まさに谷崎が憧れの荷風に初めて出会った日の話。明治43年の「パンの会」。このとき谷崎はまだ大学生、荷風は前年に「すみだ川」などの名作を多数発表しています。
会場に荷風が入ってきたとき、谷崎はすぐにそれが荷風だとわかります。で、どうやって憧れの荷風に話しかけようかと迷っていてついにその瞬間が訪れます。

「最後に私は思ひ切つて荷風先生の前へ行き、『先生! 僕は実に先生が好きなんです。僕は先生を崇拝してをります! 先生のお書きになるものはみな読んでおります!』と云いながら、ピョコンと一つお辞儀をした。先生は酒を飲まれないので、端然と椅子にかけたまゝ、『有難うございます、有難うございます』と、うるさゝうに云はれた」

何とも微笑ましい場面ですね。この翌年に荷風は「三田文学」に『谷崎潤一郎氏の作品』と題する評論を載せて、谷崎は文壇に華々しくデビューすることになります。谷崎が荷風に対する敬意の気持ちを深めたことは言うまでもありません。

で、昭和17年に書かれた『きのふけふ』にはこの年に久しぶりに荷風と再会した時の話が書かれています。このとき荷風は数えで64歳。でも谷崎はとてもその年齢には思えない荷風の佇まいに改めて感服しています。

終戦直前の岡山の勝山での再会は、このとき以来3年ぶりだったんでしょうね。何度も荷風に手紙を送って勝山に来るように勧めていた谷崎の目に、はたして荷風はどのように映ったんでしょうか。
荷風が勝山に行く決心をしたのは、広島に原爆が投下されたのを知ってのことのようです。もうひとつ、同居していた菅原明朗夫婦との関係もかなり悪くなっていたこともあげられるのかもしれません。
実は菅原明朗夫婦は8月4日に広島に演奏会に出かけています。荷風はその日ラジオで演奏会の様子を家の人たちといっしょに、かなり複雑な気持ちをかかえながら聴いています。で、8月6日に菅原夫婦は広島から戻ってきたと書かれています。昭和20年8月6日と言えば、まさに原爆が投下された日。それが投下される前の朝早くに菅原夫婦は広島を発っていたのでしょうか。この日の荷風の日記には菅原夫婦が広島の古本屋で買ってきたフランスの本を借りて読んだことだけが記されています。

荷風が広島に原爆(もちろんまだ原爆ということは知らなかったんでしょうけど)が落とされて広島の町が灰になってしまったことを知ったのはどうやら8月10日。この日荷風はあわてて岡山駅に行き、勝山行きの切符を買い求めますが、結局買うことができず、3日後の8月13日のもう一度岡山駅に行き、たくさんの人があふれる中、どうにか切符を買うことができ、ひとりで勝山に向かっています。
この日は谷崎の滞在していた家に行き、奥さんを紹介されたりしていっしょに食事をして夜10時くらいまで話をして谷崎の用意してくれた宿に戻っています。

で、翌朝、再び谷崎に会います。もし、荷風と谷崎の二人の映像的なクライマックスはこの朝の風景ではないかと思います。

「晴、朝七時谷崎君来り東進して町を歩む、二三町にして橋に到る、渓流の眺望岡山後楽園のあたりにて見たるものに似たり、後に人に聞くにこれ岡山を流るゝ旭川の上流なりと、その水山影の相似たるや蓋し怪しむに及ばざるなり」

『断腸亭日乗』に書かれているのはたったこれだけ。この後、正午に二人は谷崎の家で昼食をとっています。この間、5時間。おそらく二人は旭川にかかっている橋(鳴門橋か中橋のどちらかでしょうか)に佇んで何時間も話し込んだはず。いったいどんな話をしたんでしょうか。荷風はそこで話したことを一切書いてはいません。

で、荷風は昼食後、「長く谷崎氏の厄介にもなり難し」として翌日岡山に戻ることにします。おそらくは勝山の谷崎のもとで世話になろうと荷風は考えていたはず。でも、荷風は岡山に帰る決心をします。谷崎から勝山に留まるようにとの強い言葉をもらうことができなかったのがその理由かもしれません。谷崎は荷風を呼び寄せたものの、当時かなり深刻な「恐怖症」に陥っていたはずの荷風の変わりように戸惑ったことは想像に難くありません。しかも当時谷崎は、自身の最も大きな作品となるべき『細雪』を執筆している最中。荷風を強く引き止めるだけの言葉を用意できるだけの精神的なゆとりがなかったのかもしれません。でも、おそらくは畏敬の念を払い続けたことは確かだと思います。谷崎も後年、このあたりのことは何も語っていないんでしょうね。

旭川の橋の袂で数時間に渡って交わされたであろう二人の会話。この場面だけでも映画になりそうです。

ところで、小津は谷崎の本を読み終えた直後、ある場所に「旅行」に出かけます。
向かった先は京都。11月22日に旅券をとって、11月26日に京都に行っています(途中、名古屋、それから大阪に立ち寄っています)。日記の記述が断片的でちょっと正確な同行者がわかりにくいのですが、小津とともに『早春』の脚本を書く野田高梧と里見弴はこの旅行に同行しているはず。里見弴の四男で『早春』から小津の映画の製作を担当する山内静夫も同行したのかもしれません。

京都といえば、谷崎が終戦後居を構えた場所。このときに谷崎に会ったのかと思いましたが、そうではありませんでした。小津が旅行した1954(昭和29年)には谷崎は熱海の別荘に移り住んでいるみたいですね。日記を見ると小津はいろんなお寺を巡っています。お寺の名前を見ると無名なお寺ばかり。

でも、このときの小津一行の目的はお寺巡りではなかったはず。おそらくは映画の舞台となるべき"ある場所"を探していたはずです。
『早春』の中で、小津は東京を去る池部良と三石のつなぎとなるべき中間点を設定したんですね。小津が巡った寺を確認すると、おそらくは鴨川の辺りを考えたのではないかと思います。でも、めぼしい場所はなかったのかもしれません。で、その場所を発見したのは帰りの電車からだったかもしれません。
小津はいつ、どこへ行くときも映画で使えそうな場面を探し続けていたはずですから。

結局、映画で使われることになったのは琵琶湖から南に流れる瀬田川。僕が『早春』という映画の中でもっとも詩情あふれる場面だと思っているのが、まさにここで撮られています。この場面ですね。
a0285828_12175228.jpg

池部良と笠智衆が橋のそばの木の桟橋に腰をかけて川を見つめる場面。『東京物語』の熱海の海岸で笠智衆と東山千栄子が海を見つめているシーンに重なります。ただ『東京物語』は二人とも老人。『早春』は10歳以上はなれている上司と部下という関係。笠智衆は池部良の結婚の仲人をしたことになっています。

池部良はこの場所で初めて、笠智衆を相手にいろんないきさつを正直に語ります。笠智衆は家族もいない彼にとって、悩み事を打ち明けられる唯一の心から信頼できる人。親でもあり兄でもあり師でもあるような存在。

二人が会話をしている途中で、川の上を学生のこぐボートが滑るようにすり抜けて行きます。それを見て二人はこんな会話を交わします。

笠 「あの自分が一番いいときだなぁ」
池部「そうですねぇ、むかし河合さんもここで...」
笠 「そう、あいつにもあったんだねえ、あんな時代が...。あの時分が人生の春だねえ」
池部「そうですねぇ...」

映画のシナリオを見るとこのボート部はきちんと学校が指定されています。「京大短艇部」。二人の会話に出てくる「河合」というのは山村聰が演じている、おそらく笠智衆の同期入社の人物で、笠智衆の最も気心の知れた存在。河合はサラリーマン生活をやめて「ブルーマウンテン」というバーを経営しています。この会話から、どうやら笠智衆も山村聰も京都大学出という設定になっていることがわかります。

最も好きなのはこの後のシーン。
a0285828_12183162.jpg

笠智衆の子供が橋の上から父親を呼びにきます。二人は立ち上がって、歩き出します。このとき遠くに見える東海道本線では、西に向かうかなり長い貨物列車が走って行くのが見えます。映画ではそれが通り抜けるまで映っています。西とは、もちろんこれから池部良が向かうことになる方角。

この場面にはさまざまな"つながり"の風景が盛り込まれています。橋、汽車、親と子、そして師と師を慕い敬愛する人間。

実は、僕はこの場面こそまさに勝山の旭川の袂で言葉を交わしていた荷風と谷崎の風景に重なるものを感じてしまいます。あの時は師である荷風はかなり弱い立場になっていたのかもしれませんが、でも谷崎は師として敬し続けていたはず。

京都の旅行から戻った小津はそのひと月後に、まるで最後に何かを確認するかのように「夜 荷風全集をよ」んでいます。そして数日後に『早春』のための「仕事」を開始します。

まず、映画で岡山の三石を使うことを決め、それを映画のラストで主人公が一人で三石に向かうというストーリーを思いついて『早春』という映画の最初のイメージが出来上がる。そして主人公が三石に一人で向かわなければならないきっかけとなった「大森」での不倫を考える。で、最後に、東京と三石をつなぐ場所として京都の外れの川沿いの風景で、師と言葉を交わす場面を考える。そのときに小津が思い描いた師と師を敬愛する人間の一つの形をまさに荷風と谷崎に見たのではないかと思います。
小津の『早春』には荷風の『断腸亭日乗』が深く入り込んでいます。

ところで、旭川にかかる橋の袂で、旭川の流れを見ながら荷風と谷崎はいったいどんな会話をしていたのでしょうか。もしかしたらこんな言葉が交わされていたかもしれません。

谷崎「この川を見ていると、私が生まれ育った頃に見ていた、昔の隅田川の風景を思い出すんですよ」
荷風「ふむ。実は私もそう思っていたところだったんですよ。空襲を受ける前に歩いていた岡山市内を流れている川を見たときにもそう思いました」
a0285828_1219116.jpg

[PR]
by hinaseno | 2013-04-28 12:20 | 映画 | Comments(0)