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小津安二郎の『早春』と『断腸亭日乗』(その4)


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『東京物語』で、兵隊として戦争に行ったまま戻ってこない人物として名前が出てくる「しょうじ」。実は『東京物語』の2作前の『麦秋』にも、同じく兵隊として戦争に行ったまま戻ってこない「しょうじ」という人物の名前が出てきます。前者は笠智衆の息子、原節子の夫として。後者は笠智衆の弟、原節子の兄として。

最近まで僕はこの2つの映画の「しょうじ」を、「しょうじ」という音だけで頭に入れていたのですが、先日図書館で借りてきた映画のシナリオを見て、それぞれの「しょうじ」に漢字の名が与えられていることがわかりました。
『麦秋』の「しょうじ」は「省二」、そして『東京物語』の「しょうじ」は「昌二」。いずれも次男ということになっています。ちなみに長男はどちらも「こういち」。『麦秋』で笠智衆が演じているのは「康一」、『東京物語』で山村聰が演じているのは「幸一」。よく知られていることですが小津の映画の脚本人物の名前は名字も名前も同じものだらけ、出演者も同じ人ばかり。いまだに区別がつかない。

そういえば男の兄弟で兄を「○一」、弟を「○二」とすることでいえば、現在平川さんの探偵報告が続いている戦前の『生まれてはみたけれど』の兄弟も、兄が良一、弟が啓二となっています。
ちなみに『晩春』と『お早よう』には、『生まれてはみたけれど』と似たような男の子の兄弟が出てくるのですが、それらはいずれも兄が「実(みのる)」、弟が「勇(いさむ)」。戦後の子供には「一」「二」を付けずに一文字の漢字にしています。

『麦秋』と『東京物語』で、戦争から帰らぬ人(戦地で亡くなった人)として共通の名前が与えられている「しょうじ」の存在は、この二つの映画を考える上で、とても重要なような気がします。映画には一度も登場はしませんが、この二つの映画の隠れた主役と言ってもいいのかもしれません。と思って、ネットを調べたら、やはりそれを指摘している人もいますね。小津自身も次男で戦争に行った人ですから、このあたりは掘り下げて考えてみると面白そうです。それはまた別の機会に。

さて、『早春』の池部良が与えられた役名は「正二」。僕の持っているDVDのパッケージの裏に書かれています。シナリオに記されているんですね。
実は僕はこの映画を初めて見たときからずっと「正二」を「せいじ」と読むものだと思っていました。映画のどこか場面で、淡島千景の母親役の浦辺粂子が「せいじさん」と言っていたように思っていたのですが、改めて映画を見直したら浦辺粂子は池部良のことを一貫して「杉山さん」と呼んでいましたし、ほかの誰も池部良を下の名前で呼んではいませんでした(仲のいい友人たちは「スギ(杉)」と呼んでいます)。
やはりこれは「しょうじ」と読むべきなんでしょうね。
二作続けて戦地で亡くなった存在として名前を与えられていた「しょうじ」を、戦争から生きて戻ってきた存在として描く。いつも小津の映画の中では死者であった「しょうじ」に初めて生を与えたわけです。小津はその人物設定を思いついた日に、その映画のタイトルを『早春』と決めたんですね。

ということで、間に1つ『お茶漬の味』がはさまっていますが、ほぼ続けて作られた『麦秋』『東京物語』『早春』の3つの作品では「しょうじ」という人間が主役(あるいは陰の主役)になっているわけですね。
小津の映画で、原節子が「紀子(のりこ)」という役を演じている『晩春』『麦秋』『東京物語』は「紀子3部作」として広く愛されていますが、それにならって僕が個人的に好きな『麦秋』『東京物語』『早春』を勝手に「しょうじ3部作」と呼ぼうと思っています(それを言うなら「こういち」も3作とも出ていますし、あるいは「しげ」も3作とも出ていますので「しげ3部作」ということにもなりえます。ちなみに『麦秋』の「しげ」は東山千栄子、『東京物語』の「しげ」は杉村春子、そして『早春』の「しげ」は浦辺粂子。ちょっときついですね)。

ところで『麦秋』の「省二」に関して、ちょっといい場面があります。映画のこの場面。
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省二の妹である紀子(原節子)と、省二の学生時代の同級生だった謙吉(二本柳寛)が省二についての会話を交わします。
実はこの直前の場面で、ある建物が写ります。
ニコライ堂。
松本竣介という画家によって描かれた絵、あるいは古関裕而のかいた曲のタイトルとして、この日のブログで紹介した個性的な建物。それがこの二人のいる喫茶店のこの席の窓から見えるという設定になっているんですね。二人の視線の先に見えているのがニコライ堂。もちろんニコライ堂の鐘の音もよく聴こえる場所。
ここでこんな会話が交わされます。シナリオのト書きも引用しておきます。

  窓から見えるニコライ堂――。
  紀子と謙吉がお茶をのんでいる。
謙吉「昔、学生時分、よく省二君と来たんですよ、ここへ」
紀子「そう」
謙吉「で、いつもここにすわったんですよ」
紀子「そう」
謙吉「やっぱりあの額がかかってた......」
紀子「――?」(と見る)
  ミレーの『落穂拾い』の古ぼけた額――
謙吉「早いもんだなぁ......」
紀子「そうねぇ――よく喧嘩もしたけど、あたし省兄さんとても好きだった......」
謙吉「ああ、省二君の手紙があるんですよ。徐州戦の時、向こうから来た軍事郵便で、中に麦の穂が入ってたんですよ」
紀子「――?」
謙吉「その時分、僕はちょうど『麦と兵隊』読んでて.....」
紀子「その手紙頂けない?」
謙吉「ああ、上げますよ。上げようと思ってたんだ......」
紀子「頂だい!」

ニコライ堂の見える風景が好きな省二、ミレーの『落穂拾い』の絵が見える場所に必ず座る省二、そして手紙に麦の落ち穂を入れる省二。なかなか素敵な話ですね。

ただ、映画をよく見てみると背後の絵はどう見てもミレーの『落穂拾い』ではないですね。花瓶がぼんやりと見えますが。絵だけはどうやら原作のシナリオ通りにしなかったようです。『落穂拾い』の絵が用意できなかったのかもしれませんね。でも、後に交わされる会話、あるいはこの映画の『麦秋』というタイトルのことを考えると、あの絵はやはりミレーの『落穂拾い』であるべきだったように思います。
このあと、紀子は謙吉の母親の杉村春子(「しげ」ですね)の所に行って謙吉と結婚することを告げることになります。ニコライ堂の見える場所、そこで交わした省二の話が映画の大切なポイントになっているんですね。

そういえば前回、ニコライ堂の話をしたときに貼った「ニコライ堂の横の道」という絵にはニコライ堂の建物が描かれていませんでした。松本竣介は本当にニコライ堂が好きだったみたいで、ニコライ堂をいくつも描いています。どれもいい絵ばかりなのですが、『麦秋』がモノクロの映画なので、鉛筆と木炭とインクで描かれた、このモノクロのニコライ堂を貼っておきます。
ちなみにこの絵が描かれたのは1941年12月。まさに日本が太平洋戦争に突入したときですね。
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by hinaseno | 2013-04-22 09:27 | 映画 | Comments(0)