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小津安二郎の『早春』と『断腸亭日乗』(その3)


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『全日記 小津安二郎』を見ると、小津がどのような段階を踏みながら『早春』を仕上げていったかがわかります。ちょっとそれを書き並べておきます。

まずは記念すべき1954(昭和29年)8月17日(金)の日記に「仕事の話ひらける 兵隊の話を思ひつく ラスト出来る 題名 早春と決る」と記され、その2カ月後の10月10日(日)に「配役決定」。さあここから、シナリオをすぐに書き始めるかと思いきや、『早春』に関する仕事らしい仕事を始めるのはその4カ月後(ただ、この間、かなり興味深いことがあるのですが、それはまた後日)。

1955(昭和30年)1月27日に「岸恵子がくる」と書かれているので、配役を決定した俳優との出演交渉は進められていたんでしょうね。といっても小津の日記に出てくるのは池部良と岸恵子のことだけ。この日の日記には「仕事の話ハせず早く就寝」と書かれています。具体的な話はしなかったということでしょうか。翌、1月28日の日記には「仕事例の如く難渋也」という記述があるので、まだ小津の中ではストーリーを具体化できない状態にあったみたいです。

その数日後にはちょっと興味深い記述が。

2月3日「参考に林芙美子の〈めし〉を読み始める」
2月4日「めし終了 仲々参考になる」
2月9日「車を呼んで野田さんと三人小田原東宝に出かけて 浮雲と明治一代女を見る 浮雲に大変感心する(中略)浮雲をみて大変気持ちがいゝ」
2月11日「シナリオめしをよむ これハ感心しない 説明が多いからだ(中略)夜野田さん浮雲をよむ」

成瀬巳喜男監督の『めし』と『浮雲』の話。いずれも原作は林芙美子の小説です。
高峰秀子主演の『浮雲』は公開されたばかりですね。映画を観て大いに気に入ったようです。小津とともに『早春』の脚本を書いた野田高梧はいっしょに映画を観ただけでなく、そのあとすぐに映画の原作の林芙美子の本を読んでいます。小津もひと月後に読んでいます。

興味深いのは『めし』の方。
上原謙と原節子主演の『めし』は1951年公開の作品。もちろん小津は映画を観ていたんでしょうけど、『早春』のストーリーを書き始める直前に、『めし』の原作である林芙美子の本を「参考に」読んでいます。翌日には「めし終了 仲々参考になる」と書かれています。『めし』は倦怠期の貧しい夫婦を描いた作品。頭の中で組み立てていた『早春』のストーリーとかぶるものを感じて読み直したのではないかと思います。
ただ、その1週間後に映画のシナリオを読んで「これハ感心しない 説明が多いからだ」と書いています。この言葉は小津の映画を考える上で重要ですね。説明が多いものを嫌う。説明しなくてもわからせるものでなくてはならない、ということでしょうね。

で、その4日後の2月15日の日記にこんな言葉が。

「いよいよ明日からやるぞ」

でも、どうやら翌日(2月16日)には何もしていないんですね。こんなことが書かれてあります。

「文春芥川賞のアメリカン・スクール 小島信夫 プールサイド小景 庄野潤三をよむ どちらも感心しない」

第32回芥川賞は先月1月22日に発表されています。それを『早春』のストーリーを書き始める直前に読んでいるのが興味深いですね。しかもこのときの受賞者が小島信夫と庄野潤三というのが、個人的におおっと思ってしまいます。
2人とも村上春樹が『若い読者のための短篇小説案内』で取りあげた作家。 僕は恥ずかしながらこのとき初めてこの二人の名前を知ったのですが、村上春樹の「案内」が素晴らしくてすぐに「アメリカン・スクール」と「プールサイド小景」が収められたそれぞれの本を買って読みました。それまで村上春樹と池澤夏樹以外は海外文学しか読まなかった当時の僕にとって、どちらもすんなりと読めて、これらをきっかけにして第三の新人とよばれる人たちの本をいろいろ読むようになったんですね。
村上さんの『若い読者のための短篇小説案内』がなければ、木山捷平を読んだり荷風を読んだりすることもなかったような気もします、たぶん。
第32回芥川賞をチェックしたらこのときに落選した人の中に、村上春樹と同様に芥川賞を取ることのできなかった(「できなかった」という表現を使っていいのかどうかは微妙ですが)僕の大好きな作家、小沼丹がいること。こういう人たちが登場した頃に『早春』が生まれていたんですね。小津は「どちらも感心しない」と書いているとはいえ、『早春』をストーリーを書く直前に小島信夫と庄野潤三の小説を読んでいるというのはちょっとうれしい発見でした。

この2つの小説を読んだ翌日、2月17日の日記には「仕事のミソなどを集める」と書かれてますが、まだ書き出せない状況にいるようです。
さらに2月19日の日記には「仲々ねつかれず」の言葉も。かなり苦しんでいる様子がうかがえます。
で、2月20日の日記。

「十時から十一時まで仕事大いに捗り コンストラクションにかゝる 四分ノ一強出来る」

ここから何日かこの「コンストラクション」という言葉が出てきます。おそらくはシナリオにする前の段階のストーリーの骨組みを書く作業のことなんでしょうね。
その「コンストラクション」を進める過程で、池部良が勤める会社(「東亜耐火煉瓦株式会社」ですね)がある場所となっている丸ビルに行っています。3月10日の日記にはこんな記述が。ちょっとびっくりしました。

「三菱商事に行き塩川氏の案内で丸ビル八階の品川白煉瓦に行き 村田 坂田両氏にいろいろきく」

丸ビルの中に煉瓦の会社があったんですね。おそらく小津はその前に三石の煙突が立ち並ぶ工場が耐火煉瓦の会社のものだということを知り、煉瓦関係の会社の本社が東京にないか調べていたんでしょうね。もちろん映画の中に写っている丸ビルの中の事務所はセットにちがいありませんが、でも本当に丸ビルの中に煉瓦会社があったとは。
ちなみにこの品川白煉瓦、現在は品川リフラクトリーズ株式会社と社名が変更されていますが、今も岡山の備前市に工場があるんですね。ただし三石ではなくそのとなりの片上と伊部。でも、昔は三石にも工場があったのでしょうか。

この後、コンストラクションがどんどん進んでいる様子が書かれています。同時に池部良の出演に向けての交渉も進められているみたいですね。ずらっと書き並べておきます。

3月12日「佐藤一郎がくる 池部の話」
3月16日「コンストラクション30まですゝむ」
3月23日「仕事おおいにすゝみ愁眉ひらく」
3月24日「夕めし時シナリオ協会の恒ちゃん 五社協定のことでくる コンストラクション一応貫通して一先安心する」

で、3月30日の日記にこの記述が。

「先ず脚本人物の人名をきめる」

ついにこの日、登場人物の名前が決められたんですね。おそらくはこの前には池部良が出演する了解もとれていたはず。
主人公である池部良の役に与えられた名前は「正二」。

この日、さらに、こう書いています。

「脚本今日から書き出す 1、2書き上げる」

この日からは延々脚本を書き続ける日々が続きます。
完成したのは6月24日。

「朝から仕事 一時三十分 脱稿する 起稿三月三十日なれバ八十七日なり」

思いっきり、荷風の『断腸亭日乗』の文体ですね。
ちょっと面白いのはこの5日前、6月19日の日記。

「予め決めた 脚本完成祝賀会 於里見邸 羊六百 牛二百目 たゞし肝腎のシナリオは完成までにまだ二三日をのこす」

6月の中旬には書き終える予定にしていたみたいですね。完成祝賀会の日まで決めていたというのは笑えます。

で、脚本が完成したふた月あまり後の9月8日に、いよいよ『早春』の映画の撮影地に向かいます。最初の向かったのは言うまでもなく岡山の三石。

昨日予告した「しょうじ」の話を書くことができませんでした。
小津がこれを読んだらきっとこういうに違いありません。

「これハ感心しない 説明が多いからだ」
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by hinaseno | 2013-04-21 10:53 | 映画 | Comments(0)