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by hinaseno
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  サーフィンをするウサギ


 伊藤銀次さんと駒沢裕城さんが店の人のところに行って確かめたレコードのタイトルは『ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY』。ビーチ・ボーイズの『SUNFLOWER』に収められた曲のタイトルと同じ。アーティスト名はなし。ということはグループ名も「ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY」。
 ジャケットの裏にはメンバーの名前と、「御用の方は連絡を」という言葉とともに連絡先が書いてある。で、銀次さんたちは連絡をとって、そのメンバーの中心人物である人に会いに行く。その人がまさに、四谷のディスクチャートというロック喫茶で、深夜に大貫妙子さんがデモテープ作りをしていたのを見つめていた人だったんですね。山下達郎さんです。

 達郎さんが『ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY』という自主制作のアルバムを作ったのはその前の1972年の8月から9月にかけて。高校を卒業した記念に、仲の良かった音楽仲間と記念に作ったもの。作った枚数は100枚。
 アルバムに収められた曲はすべて洋楽のカバー。A面の6曲はすべてビーチ・ボーイズ。そしてB面はマンフレッド・マン、ムーングロウズ、フランキー・ライモン&ティーネージャーズ、バディー・ホリー、エヴァリー・ブラザーズ、そしてジャグ・バンドの曲。高校を卒業したばかりの少年たちなのに、なんとマニアックなこと。しかも時代は1970年代の初め。信じられないですね。

 さて、最初は大貫妙子さんのデモテープ作りを黙って見つめていた達郎さんは、徐々にその作業に加わるようになります。こんなふうにギターを弾いたらどうかとか、こんなふうに歌ったら、とか。で、当然ながら周囲の人たちはその歌のうまさに驚くことになります。大貫妙子さんのソロ・デビューの話は結局立ち消えになるのですが、達郎さんと大貫さんと新しいグループを作ることになり、1973年5月にライヴ・デビューを果します。グループ名はシュガー・ベイブ。大貫さんのCDの解説を書かれていた長門芳郎さんは達郎さんに頼まれてシュガー・ベイブのマネージャーになります。銀次さんたちが達郎さんに連絡をとったときには、すでに達郎さんが大貫妙子さんらとシュガー・ベイブを始めていた頃ですね。
 銀次さんと達郎さんは会ってすぐに意気投合。おそらく銀次さんは達郎さんから『ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY』のアルバムを譲り受けたはず。で、それが大瀧さんの手に渡ることになる。おそらくは1973年の7月くらいでしょうか。で、大瀧さんはそのアルバムを聴き、9月のコンサートに向けてコーラスの弱さをずっと感じていたので、渡りに船ということで、達郎さんを福生に呼ぶ。で、1973年の8月18日に達郎さんは福生にやってきます。で、達郎さんのシュガー・ベイブは、翌年に作られた大瀧さんのレーベル、「ナイアガラ」の第一号アーティストとして2年後の1975年にレコード・デビュー。
 達郎さんにとっても1973年は運命の年だったんですね。

 達郎さんは『ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY』というアルバムを作ったことに関して、のちにCDで出た解説でこう述べています。

 私がプロのミュージシャンになる全てのきっかけは、このアルバムを作った事によって生まれたといえます。はっきりと目に見える形にしなければ、他人は自分に対して注意をはらってはくれない、という教訓を、私はこの経験から学びました。


 さまざまな偶然のつながりがあったとはいえ、自分なりに納得のできるものを作り上げていたからこその話。耳の肥えた銀次さんや駒沢さんに論争を起こさせ、大瀧さんにコーラスで使おうと思わせるものがそこになくては、やはり話はそこで終わっていたわけです。

  サーフィンをするウサギ_a0285828_10535523.jpg ところで、話は少しそれてしまうのですが、この『ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY』のオリジナルのアルバムのレーベルはこんなデザインになっています。「サーフィン・ラビット」というレーベル名から来ているデザイン。メンバーではありませんでしたがレコーディングに協力した金子さんが考えたデザインなんですね。金子さんはジャケットのデザインも描かれています。
 この「サーフィン・ラビット」のことで最近おもしろいものを発見しました。もともとこのデザインは金子さんが日本の古い家紋からとったとのことなのですが、それはいわゆる「波兎」という縁起物の絵のことなんですね。

  サーフィンをするウサギ_a0285828_10542278.jpg 実はこの「波兎」の鏝絵(こてえ)が、先日行った牛窓の古い家にあるということを、牛窓から戻って牛窓に関する本を読んでいたら知りました。三石の『早春』や牛窓の『カンゾー先生』のことが書かれている『瀬戸内シネマ散歩』という本に載っていました。その本に載っている写真を貼っておきますが、ちょっとわかりにくいですね。今度行ったときには是非きちんと見なくてはいけないですね。ちなみにこの「波兎」の鏝絵のある二階建ての建物は映画『カンゾー先生』で遊郭シーンとして使われているようです。この映画も絶対に見なければ。





 ところで昨日は山下達郎さんの60歳の誕生日でした。達郎さんから受けた影響も数限りないです。心から感謝しています。でも、達郎さんが60歳なんて信じられないですね。
 で、考えてみると今年はシュガー・ベイブも結成40周年。
 先日、大貫さんの一番好きな曲として「午后の休息」という曲を紹介しましたが、もう1曲、やはり死ぬほど好きな曲があります。シュガー・ベイブ時代に作られた「いつも通り」。達郎さんや大瀧さんとの出会いが会ったからこそ生まれた曲。


 話はここで終わろうかと思ったのですが、銀次さんたちが達郎さんの『ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY』を聴いた高円寺のムーヴィンに、まさにその頃よくやって来ていた「少年」の話も書いておきたくなったので次回はその話を。彼が住んでいたのは高円寺の隣町の中野区大和町。
 
by hinaseno | 2013-02-05 11:11 | 音楽 | Comments(0)