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by hinaseno

住んでみたい町


川本三郎さんの『そして、人生はつづく』を読んで最もうれしかったこと、それはこの日のブログでも最後に少し触れた岡山の南の端っこにある「牛窓」という町を川本さんが再訪されていたのがわかったことでした。しばらくは行っていませんが僕にとっても大好きな町。ある時期は何度も何度も訪れていました。

川本さんが最初に牛窓を訪ねられたのはおそらくは1985年ごろ。1987年発行の『日本すみずみ紀行』にそのときのことが書かれています。

 
山のあいだから海が見えてくる瞬間が好きだ。視界が急に開け、青い地平線が見えてくる。そのときはじめて、旅に来たんだなという感慨がわいてくる。
 三月の半ば、古い家並みの残っている港町と聞いて、瀬戸内海の小さな町、牛窓に出かけた。岡山までは新幹線、それから赤穂線に乗り換えて裸祭りで有名な西大寺まで行き、そこから牛窓に向かうバスに乗った。竹久夢二の故郷と知られる邑久町を通って、バスは牛窓に向かう。
(中略)
 一時間ほど乗ったころ山が切れ、目の前に海が広がっているのが目に入ってきた。島があちこちに浮かんでいる。春の日のなかで海と島の風景は、まるで銭湯のペンキ絵のようにのんびりと見える。

川本さんが赤穂線で行かれた西大寺は百閒の「西大寺駅」のことではありません。邑久町は母の生まれた町。夢二の生家にも何度か立ち寄ったことがあります。

この日川本さんは「ニコニコ食堂」という食堂で食事をとられています。「ニコニコ食堂」は、僕も見た記憶があります。それから川源という旅館に宿泊。木造二階家のその旅館は昔の遊郭だったそうです。牛窓には漁師相手の遊郭が多かったみたいですね。よく行ってた頃は全然知りませんでした。

さて、昨年、三石のことが書いてあることがわかって手にした川本さんの『旅先でビール』(2005年発行)を読んでいたら「住んでみたい町」というタイトルのエッセイがあって、そこで7つくらいの町があげられている中に牛窓が入っていました。日本全国の限りないほど多くの有名無名の町を見て歩かれている川本さんが牛窓のことをあげられて本当にうれしく思いました。『日本すみずみ紀行』は川本さんが牛窓を訪ねられていたことを知って探した本でした。

今回、『そして、人生はつづく』に収められた「日本の小さな町を歩く」というエッセイを読んでいたら、なんと川本さん、3年ほど前に牛窓を訪ねられていたんですね。20年ぶりとのこと。こんなふうに書かれています。

 先だって岡山県の瀬戸内の町、牛窓に行った。海が好きだった家内がここを旅して気に入り「老後は牛窓に住みたい」と言っていた。

 
牛窓に「住みたい」と言っていたのは奥さんの恵子さんだったんですね。『日本すみずみ紀行』に書かれているエッセイを読む限り、当時みえられた時はお一人だったはず。たぶん戻って川本さんが奥さんに話されるのを聞いているうちに牛窓に行ってみたくなって、何かの機会に牛窓を訪ねられていたみたいです。残念ながらその夢はかなわなかったわけですが、でも川本さんが奥さんと牛窓のことを話されていたことを知っただけでもうれしくて仕方ありません。

川本さんは2008年の6月に奥さんが亡くなられてからしばらくは旅をする気持ちがなくなったと書かれていました。たぶん旅を再開されたのはその翌年の秋ぐらいと書かれていたように思います。その再開されて間もない時期に牛窓を再び訪ねられていたんですね。奥さんが住んでみたいと言っていた場所に。

3年前、おそらくは2010年の春に牛窓を訪ねられた川本さんは、お目当てのニコニコ食堂に向かいます。でも、残念ながら店じまいをしていたとのこと。で、その近くの小料理屋で刺身(春だからさわらかな?)とままかりを肴に酒を飲まれています。今度その店を探しに行ってみよう。

この日、川本さんが牛窓を訪ねられた時の話は、何かに書かれているのかな。ぜひ詳しく書かれているものを読んでみたいですね。

住んでみたい町_a0285828_15637.jpg写真は僕がよく牛窓に行ってたときに撮った本蓮寺の三重塔の写真。牛窓のシンボルですね。川本さんが最初に牛窓に行かれたときにも本蓮寺を歩かれていることが書かれています。
住んでみたい町_a0285828_1563876.jpg
by hinaseno | 2013-01-18 15:09 | 文学 | Comments(0)