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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno

  「話の音」のこと、「西大寺駅」のこと


昨日触れた「the catcher in the Liverary」。今朝、今村さんが書かれていたものを読んだらオフ・コマーシャルの新たな動きがあるとのこと。これからも陰ながら応援します。

さて、その「the catcher in the Liverary」で、ペットサウンズの森さんにインタビューされていたのが北原慶昭さんという方。この方の書かれている文章が本当に素晴らしいんですね。いろんなテーマで書かれているんですが、どれも強く引き付けられるものばかり。「話の音」というタイトルもいいですね。現実の風景を描いているのか、夢の中で見た風景を描いたものなのか、その境界線がよくわからなくて、で、ある種の痛みのようなものを感じつつも、たまらないほどになつかしさを覚えてしまう文章。しんとした気持ちにしてくれる文章。僕の最も好む文章。

あまりにも素晴らしくて、きっと何か本を出されている作家にちがいないと思ったのですが、調べても出されている本は見当たらない。

というわけで、時々更新される(北原さんの「話の音」が更新されるのを心待ちにしながら かなり間が空くこともしばしばで、もう書かれないのかと思ったことも何度か)、毎日「the catcher in the Liverary」を見ていました。もちろん、今村さんをはじめ、ほかの方の文章も、彼らの作られるCMと同じような共感の持てるものばかりでした。

で、先日の出来事になるのですが、アゲインの石川さんのブログで北原さんの名前があってびっくりして石川さんに連絡したら、北原さんは石川さんの店に何度も来られていて、しかも武蔵小山にお住まいだということを聞いてさらにびっくり。そして石川さんが北原さんに連絡されたみたいで、その日の夜、北原さんからメールが来たんです。北原さんの文章の大ファンでしたからうれしいやらびっくりやらで舞い上がりました。

驚いたことはもう少しありました。その北原さんのメールで紹介されていた最近のCMを見たら、おおっと言葉を失いました。 このCMです。


何とCMで使われている大竹しのぶの歌っている曲の作曲者が、昨年僕が一時期書き続けていた平井夏美(=川原伸司)さんなんですね。このCMは昨年作られているとのこと。見えないところでの確かなつながりを感じずにはいられませんでした。僕は震災以降すっかりテレビを見なくなってしまったので、このCMはたぶん一度も見たことがありませんでした。でも、とってもいいCMですね。どこか懐かしい気持ちになれる、人のことを大好きになれるCMです。

震災が起きてから一時期CMが一斉に流れなくなった時期があって、今村さんたちもきっとつらい思いをされていただろうと思っていましたが、でもあの時期だからこそ今村さんたちのCMは流されてもよかったように今でも思っています。音響的にも、語られる言葉としても気持ちが悪くて仕方のないものが多かったACのコマーシャルを繰り返し流すよりかは、と思っていました。

そういえば、久しぶりに北原さんの書かれている文章を読み返していたら「映画雑記帳」の方に、つい最近ブログで読んでいると書いた佐藤泰志の『海炭市叙景』の映画化されたものの感想が書かれていてびっくりしました。映画化されていたのは知っていましたが、小説のよさを映画で表現するのは無理だろうと思って見ないでおこうと思っていたのですが、北原さんの文章を読んで、見てみたくなりました。

  「話の音」のこと、「西大寺駅」のこと_a0285828_11431349.jpgところで、北原さんが「話の音」で書かれた文章で最も驚いたのは「西大寺駅」と題されたものでした。内田百閒の『続 百鬼園随筆』に収められた同名のエッセイに触れた話。2008年の2月18日に書かれています。ちょうど僕が百閒に興味をもって、いろいろ読み始めた時期だったので、まだ読んでいなかったこの本を買って読んだらびっくりしました。実家のある町が出てくるんですね。でも、西大寺駅の場所がどうもおかしい。調べてみたら、現在の東岡山駅の昔の名前が西大寺駅だったんですね。ここからあの裸祭りの行なわれる西大寺までは遠すぎるのに一時期そういう名前がついていたんですね。ちなみに西大寺駅になる前は長岡駅。東岡山駅のある場所の地名が長岡。というわけで百閒の「西大寺駅」は「長岡まで帰ったら」という言葉ではじまります。

でも、たまたま知って読むようになったブログを書いていた、岡山とは何のゆかりもないはずの人が、僕の実家のすぐそばの場所を題材にして書いた、(たまたま興味を持ち始めていた)内田百閒の中ではそんなに有名ではないはずの「西大寺駅」を取りあげた文章を書かれているのを見たときには、びっくりどころではありませんでした。そしてその方が石川さんと知り合いだったなんて。

北原さんの「話の音」は昨年、立て続けに書かれたもので終わりにされたとのことでした。最後に書かれていた一連のエッセイのタイトル、そして最後に添えられた「了」という文字で(でも、「了」は一連のシリーズが終われば書かれていたのですが)、なんとなく感じとってはいましたが、すごく残念です。「話の音」の話は終ったとしても、また、新たなタイトルで是非はじめてもらいたいと思っています。

それから僕の願いは「話の音」が一冊の本になってくれたらなということです。読まれるべき多くの言葉をもった文章ばかりです。震災が起きてまだ2年も経たないのに、ちまたで聴こえてくるのはうつろな人たちのうつらな言葉ばかり。そんな中で北原さんの、しんとした気持ちにさせてくれる「話の音」を、心をすまして聴いていた人は僕に限らず、いたるところにいるはず。これからもきっと。今村さんも何度か北原さんの文章を本にしたいと書かれていたように思いますので、ぜひ実現してもらえたらと思っています。

本当は1回で書いておくべきことだったのですが3回に分けて書くことになり、何かもったいぶったような形になってしまいました。意図的にしたものではありませんので、ご理解いただけたらと思います。
by hinaseno | 2013-01-11 11:48 | 雑記 | Comments(0)