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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
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松本竣介という画家の話をする前に、昨日書き落としていた川本三郎さんの『それぞれの東京』という本の内容のことを。この本は、どの人の章も川本さんならではの視点で語られたとても興味深いものなのですが、もう一つ大好きなページがあります。
それは「小さな『わが町』の集まり」と題された「あとがき」です。
たった2ページの文章なのですが、東京への愛があふれているんですね。おそらくは川本さんが愛してきたいくつもの場所が損なわれているのを目の当たりにし続けてきたにもかかわらず。
この「あとがき」の最後の方にこんな言葉があります。僕の東京に対する見方を変えた言葉でした。

この本を書いていて気がついたことがある。大都市である東京も、よく見れば小さな町、歩いて暮らすことの出来る「わが町」の集積である。大きな東京の中の小さな東京にこそ惹かれる。


さて、この本で川本さんが取りあげられた松本竣介の作品は次のようなもの。
「郊外」「街」「橋(東京駅裏)」「ニコライ堂」「ニコライ堂の横の道」「ニコライ堂と聖橋」「市内風景」「議事堂のある風景」「駅」「Y市の橋」「運河風景」「鉄橋風景」「新宿の公衆便所」。本に写真が載っているのは「ニコライ堂の横の道」。
a0285828_9549100.jpg僕は『それぞれの東京』を読んだとき、これらの絵のいくつかをネット上で見て、ずいぶん引き込まれました。松本竣介の名前は頭に残りませんでしたが、彼の絵、とくに「ニコライ堂」関係の絵はとても印象深いものがありました。確かニコライ堂はブラタモリでも出てきておっと思った記憶があります。川本さんは松本竣介に最も良く似ている画家としてアンリ・ルソーをあげています。

話は少しそれますが、僕は先日来ずっと古関裕而の曲を聴き続けていて、万歩書店さんに行ったときも、つまり松本竣介のことを書いた店主さんのツイートを見たときも古関裕而の曲を聴いていました。
古関裕而は先日も書いたように、マーチ、応援歌、あるいは軍歌のような勇ましい曲が多いのですが、車の中で聴いていたのは歌謡曲の方。で、古関裕而の歌謡曲にはタイトルに「鐘」という言葉がついた曲、あるいは歌詞に鐘が出てくる曲がいくつもあることに気づきました。有名なのは「長崎の鐘」とか「フランチェスカの鐘」でしょうか。古関さんは詞を書きませんし、古関さんの曲の作詞者はいろんな人がいるのですが、なぜか「鐘」に関する曲が多い。歌手が同じならば、そういうのはよくあるパターンなのですが、歌手もさまざま。
僕の持っているCDにも入っていない曲もふくめてみると相当数あります。古関さんが楽曲を担当していた連続ラジオ・ドラマ「鐘の鳴る丘」(主題歌は「とんがり帽子」)の影響でしょうか。古関さん自身も本の中で「偶然、私の作曲のタイトルに鐘がつくものが多い」と書いていて、それを不思議がっています。ちなみにその本のタイトルの副題は『鐘よ鳴り響け』、やはり「鐘」があります。


そして、そんな「鐘」に関する曲の中に「ニコライの鐘」という曲がありました。僕の持っていたCDに入っていたので、この曲を聴いたとき、あっ、ニコライ堂とすぐに思いました。歌っているのは藤山一郎。作詞家の門田ゆたかは先日触れた、やはり藤山一郎が歌った「東京ラプソディ」の詞を書いた人です。古関裕而と松本竣介が「ニコライ堂」でつながりました。


ところで松本竣介は今年、生誕100年とのこと。僕の持っている古関裕而のCDも生誕100年を記念して3年前に出たもの。2人は生まれも近いんですね。
それだけではなく、松本竣介は東京で生まれましたが2歳のときに岩手県に移り住んでそこで育っています。つまり彼も「東北人」なんですね。

松本竣介は19歳のときに画家を志して上京します。昭和4年のこと。昭和4年に上京した人と言えば木山捷平ですね。木山さんは1904年、日露戦争の年の生まれですから上京したのは25歳。ちなみに古関裕而は昭和5年、彼が21歳のときに福島から上京しています。最近関心を持った人たちが、それぞれ志しているものは違うけれども、ほぼ同じ年に上京しています。古関裕而は上京したとき阿佐ヶ谷に住んでいます。木山さんは昭和5年に中央線沿線の大久保、そのあと昭和6年に阿佐ヶ谷近くの馬橋に移り住んでいます。松本竣介は昭和4年に上京してきて最初に住んだのが池袋、それから豊島区長崎に住んでいます。半径1里(4km)くらいのところに3人が同じ時期に住んでいるんですね。1里なんて木山さんにとっては散歩の距離。
そういえば昭和7年の木山さんの日記を読んでいたら、こんなことが書かれていました。11月20日(日)の日記です。

一時半より早慶戦のラジオをきく。二対一早稲田の勝。


木山さんは姫路の師範学校なんて行きたくはなくて本当は早稲田に行きたかったんですね。結局、早稲田には父親の強い反対で行けなかったけれども、どうやらずっと早稲田のことを気にかけていたようです。この時期には早慶戦はものすごく盛り上がっていたみたいですね。プロ野球はまだ発足していません。古関裕而が早稲田の応援歌である「紺碧の空」を作ったのは昭和6年。ということは、この早慶戦では「紺碧の空」は歌われているはずで、木山さんもきっとそれを聴いていたはず。もしかしたら木山さんもラジオから流れてくる「紺碧の空」に合わせて一緒に歌ってたかもしれません。

ところで、古関裕而の「鐘」に関する曲は、さっきの「とんがり帽子」にしても「ニコライの鐘」にしても、鐘の音で曲が始まるものが多いです。
大瀧さんの作った曲にも最初に鐘の鳴り響く曲があります。渡辺満里奈が歌ったこの「うれしい予感」という曲。「ちびまる子ちゃん」の主題歌ですね。詩を書いたのは原作者であるさくらももこさん。途中で大瀧さんの声「あの子に」が入ります。

鐘の音には、何かを知らせる意味と、何かを鎮魂する意味があります。この曲の最初の鐘の音は果たして...。

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by hinaseno | 2012-10-30 09:16 | 全体 | Comments(0)