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by hinaseno

「東北人」古関裕而のこと(その1)


大瀧詠一さんによって知った東北出身の音楽家がもう一人います。
古関裕而(こせきゆうじ)。

これを読まれた方は、もしかしたら名前を聞くのは初めてかも知れません。でも、古関裕而の作った曲はいろいろなところで耳にしているはずの曲ばかり。今日はそんなかなり有名な曲を紹介します。ほとんどがスポーツに関係するマーチや応援歌です。特にスポーツに興味を持たれていなくとも知っている曲だろうと思います。
ただ、先に言っておけば、僕が大瀧さんによって古関裕而の名前を知ったのは、それらのマーチや応援歌とは全く違うタイプの曲。大瀧さんの言葉を使えば、心からほっとしたいときに聴きたくなるような曲。その曲を紹介するとき、大瀧さんは同時に古関裕而という人が東北の人であることを告げます。「会津(福島)の人」だと。2009年の末に語られた言葉でした。

では、今日は古関裕而のマーチや応援歌を、といってもたくさんありすぎますので、やはり1995年の日本ポップス伝でかけられたものを貼っておきます。ちなみに、前にも言ったように1995年に放送された日本ポップス伝をきちんと聴いたのは今年になってのこと。
考えてみたら、1995年は阪神大震災とオウム事件のあった年。数日前に僕は、この2つの事件の間にはさまれた月の物語である村上春樹の『神の子どもたちはみな踊る』のことに触れて、今こそ読まれるべき物語だと書きましたが、今、ちょうどNHKラジオで松たか子さんの朗読で村上春樹の短編が順番に3つ読まれていて、『神の子どもたちはみな踊る』から2作取りあげられています。先週が「かえるくん、東京を救う」、来週が「蜂蜜パイ」です。残念ながら僕の好きな「アイロンのある風景」、あるいはこれも先日少し触れた「UFOが釧路に降りる」ではありませんでしたが。
ちなみに今週は「七番目の男」。これは『レキシントンの幽霊』に収められた作品。個人的なことを言えばこの短編に収められた「沈黙」と「七番目の男」を読んだとき、村上春樹の変化を感じました。そのあたりで村上春樹から離れていった人は多くいるみたいですが、僕は逆にそこから彼に深く傾倒することになった思い入れの強い作品です。
『レキシントンの幽霊』には「トニー滝谷」という、大瀧さんファンならタイトルだけでピッと反応してしまう作品もあります。それについてはまた後日。

話がそれてしまいました。では、古関裕而の曲を。
まず1曲目は昭和6年に作られた「紺碧の空」という曲。早稲田大学の応援歌ですね。古関さんの作った最初期の曲の一つ。ちなみに早稲田は大瀧さんや村上さんの出身校です。村上さんはこの曲を口にされたことがあるんでしょうか。


2曲目は昭和11年に作られた「大阪タイガース(現阪神タイガース)の歌」。現在は「六甲おろし」として有名な曲。


阪神といえば巨人ですね。というわけで「巨人軍の歌」。「巨人軍の歌」は何度か作られているようですが、現在耳にする通称「闘魂こめて」は昭和38年に作られています。


古関裕而さんは昭和25年に中日ドラゴンズの応援歌である「ドラゴンズの歌」も作っていますが、日本ポップス伝ではかかりませんでした。中日ドラゴンズの応援歌はその後昭和49年に山本正之という人が作って板東英二が歌った「燃えよドラゴンズ」が有名になって、古関さんの歌は現在では歌われなくなったみたいですね。


次は昭和39年に作られた曲。昭和39年といえば、あれです。東京オリンピック。ということで、古関裕而さんは「オリンピック・マーチ」を作っています。


時代は前後しますが、昭和22年には一昨日に触れた「東京ラプソディ」を継承したような「夢淡き東京」という曲を作っています。歌っているのは「東京ラプソディ」と同じ藤山一郎。


他にも大瀧さんのポップス伝ではかからなかった有名な曲は数知れずですね。例えばこの高校野球のテーマソング。「栄冠は君に輝く」なんか聴いたことのない人はいないですね。


勇ましい曲ならば古関さんということだったのか、古関さんは軍歌もたくさん作られています。その一方で有名な映画のテーマ曲もたくさん作られています。「君の名は」とか「ひめゆりの塔」とか。
美空ひばりにも曲を作っていました。「花売馬車」という曲。昭和30年の曲。作詞は西條八十ですね。初めて聴く曲でした。


今日の最後は、森繁久彌の「荷物片手に」という曲。昭和32年に作られています。やはりはじめて聴く曲です。作詞は野口雨情。調べてみたらその年公開の映画『雨情物語』の主題歌でした。そんな映画があったんですね。森繁久彌は同じ年に野口雨情作詞、中山晋平作曲の「船頭小唄」を歌っています。映画の挿入歌で使われたんでしょうか。


「船頭」つながりでいえば昭和10年に「船頭可愛や」という曲をヒットさせていますね。「船頭小唄」の14年後。こっちも貼っておきます。


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by hinaseno | 2012-10-22 08:21 | 音楽 | Comments(0)