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by hinaseno

小さな箱を手渡す物語(その1)


木山捷平に「夢前川」と題した短編小説があります。
夢前川(「ゆめさきがわ」と読みます)は姫路市の西部を流れている二級河川。木山さんが姫路の地名を題材にした唯一の小説です。
考えてみると、木山さんが姫路の地名を題したものとしてはもう一つ「船場川」という詩があるだけ。2つとも「川」というのが興味深いですね。

「夢前川」という小説は、昭和35年、木山さんが56歳のときに書かれたもの。最初に掲載されたのは『サンデー毎日』という雑誌。のちに『斜里の白雪』という本に収められていますが現在は絶版になっています。
この小説の中にはいくつか姫路近辺の地名が出てきます。
岡山との県境に近い「上郡(かみごおり)」、姫路市の東にある加古川市を流れている「加古川」、そして姫路市の南の播磨灘に浮かぶ小さな島である「家島(いえしま、または、えじま)」。

「夢前川」という小説は不思議な小説で、夢前川が出てくる話は小説の中の小説の話。主人公である家島出身の女性が読んでいる小説本の話です。もちろんそんな小説は存在しないはずですから、木山さんの創作ですね。
でも、「家島」とか「夢前川」という地名が出てきて、それが姫路市に属している場所であることがすぐにわかる人はほとんどいないと思います。小説内小説の主人公は加古川から姫路を通って上郡まで、おそらくは現在の国道2号線を通って移動しますので、途中に姫路という地名、あるいは途中ですぐそばを通過するはずの姫路城くらいは入れてもいいような気がするのですが、一言も触れられていません。木山さんの中では、姫路はずっと遠ざけられている感じがします。

すでに何十年も東京に住んでいた木山さんがあえて、たった数年暮らした、おそらくはあまりいい思い出をもっていない姫路に流れている夢前川を舞台にした小説を、ある日急に書こうと思ったのでしょうか。物語的には別の土地の別の川を舞台にしても何の問題もないような話ですから。

ひとつには「夢前川」という言葉の響きがよかったのかもしれません。姫路市にはもうひとつの二級河川である市川という川が流れていますが、小説的なイメージを喚起する川の名前としては、「市川(いちかわ)」よりは「夢前川(ゆめさきがわ)」の方がはるかにいい。あるいは木山さんの郷里である岡山を流れている3つの一級河川、「吉井川」「旭川」「高梁川」のどの名前よりも。

でも、確かなことは、姫路を離れて30年以上もたったのちにも、木山さんの心の中に「夢前川」という川のことが留まり続けていたということです。

「夢前川」という小説の中の小説の話を簡単に書いておきます。

上郡に住んでいた伊助という30くらいの男が、あるとき、上方に旅行をして、その帰路に加古川の加古川橋にさしかかったとき、橋の袂に一人の美しい女性が立っているのを見つける。年の頃は18か19。上方に滞在していたときにも見たことがないような美人。どきどきする伊助にその女性はこう声をかける。
「お兄さん、この先に夢前川という川があるのは御存じやろ。あの川の袂になア、一人のお爺さんが立っているから、その人にこれを渡してもらいたいんや」
そう言って、美女は伊助に絹のハンカチにくるんだ桐の小箱を手渡す。そしてこう付け足す。
「でも、ただ一つお願いがある。お兄さん、途中でこの箱のフタを取って中を見ちゃ、嫌よ。見たらなア、お兄さんの身に、浦島よりももっと難儀な目がふりかかって来る」
で、美女は伊助と指切りをして別れる。

ところが伊助が夢前川の橋に辿り着いたとき、橋の上にも、橋の袂にもお爺さんはいない。仕方なく伊助は箱を上郡の自宅に持ち帰り押し入れの中にしまう。
すると妻にそれが見つかり、わけを話して、絶対に中を見ないようにと言うが、数日後妻はそのフタをあけて中を見てしまう。中にあったのは朝鮮人参のような形のミイラ、つまりそれは男性の…。しかもそのミイラは動き出す。妻は気絶する。
外出から戻って来た伊助はそのミイラをつかまえて箱の中に戻し、夢前川の橋までもっていき川に捨てることにする。
で、伊助が夢前川に着くと、橋の袂に独りの白髪の老婆がいる。老婆はそれはわたしのものだから、わたしがいただきましょう、という。そこで伊助はその老婆が、加古川の橋の袂にいた美女であることを知る。老婆は箱を手にすると、東の方のどこかへ消えて行く。
くたくたになって上郡に戻った伊助は病気になり、まもなく死んでしまう。

これが小説内小説の「夢前川」の話です。

伊助が老婆に出会った夢前川の橋は、おそらくは現在の夢前橋。木山捷平にはこの橋を渡り続けた1年間がありました。
小さな箱を手渡す物語(その1)_a0285828_849126.jpg
by hinaseno | 2012-10-04 08:49 | 木山捷平 | Comments(0)