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by hinaseno

  大瀧詠一のゆらぎのあるメロディ(その4)


大瀧さんの作った曲にみられる、ある特徴的な形のメロディを、僕は個人的に「ゆらぎ」と表現しています。多くはサビのやエンディングの部分に聴き取ることのできるものです。

大瀧さんの作った曲の多くは、基本的には大瀧さんの大好きなアメリカのポップスやロックンロールを母体にして作られていて、いくつかの曲では下敷きにした曲がはっきりとわかるような形になっています。ですから大瀧さんのファンになると、必ず大瀧さんが下敷きにした曲、いわゆる「元ネタ」探しというのをするようになります。僕もずいぶんやりました。ある日、ふと聴いた曲で元ネタと思えるようなものに気づいたときのよろこびは、何ごとにも代え難いものがあったりもします。
ネット上にはそんな発見の物語がいくつも見られます。僕もインターネットを始めた最初の頃は、だれかが見つけた元ネタ探しをしていました。ときにそうかと感心させられたり、ときにそれは違うんじゃないとつっこんでみたり。あるいは自分が見つけたものを他のだれかがすでに指摘しているかどうかを確認して、指摘されているのを見つけたらがっかりしたり、でもだれにも指摘されていなかったら秘かに悦んでみたりとか、そんな日々を過ごしていました。

大瀧さんの作った曲で一番有名な曲、となると、やはり松田聖子が歌った「風立ちぬ」という曲になるでしょうか。

「風立ちぬ」の下敷きにした曲として語られるのがジミー・クラントンという人が1962年に歌った「ビーナス・イン・ブルー・ジーンズ」という曲です。僕は山下達郎さんがラジオで語っていて知りました。

「風立ちぬ」も素敵な曲ですが、「ビーナス・イン・ブルー・ジーンズ」も本当に素敵な曲。曲の構造もとてもよく似ています。
曲を作ったのはジャック・ケラーという大瀧さんの大好きな作曲家。「ビーナス・イン・ブルー・ジーンズ」は「ゴー!ゴー!ナイアガラ」の「ジャック・ケラー特集」でも当然かかっていて、大瀧さんはジャック・ケラーの数ある曲の中で1番好きだと語っていました。
「風立ちぬ」には、ほかにもいくつもの曲の要素が鏤められています。僕がまだ気づいていないものもいくつもあると思います。

でも、今回の話のポイントは、「風立ちぬ」にしても他の大瀧さんが作った曲にしても、もしかしたら世界で大瀧さんにしかない独特のメロディがあるということです。それが、僕が「ゆらぎ」と表現する部分です。
大瀧さんは自分が歌う曲にも他人に提供した曲にも、その「ゆらぎのあるメロディ」を入れています。全部が全部というわけではありませんが、でもメロディのきれいな曲のサビやエンディングには必ずと言っていいほど「ゆらぎのあるメロディ」を入れています。
意識的にというのではなくて、大瀧さん自身、歌う側の立場としても聴く側の立場としても、その「ゆらぎ」が大好きなんで、無意識に出てきてるような気がします。と書きつつ、「意識」と「無意識」の境目なんてだれにもわからないですけど、でも「意識的に」では生みだすことのできない自然な「ゆらぎ」。1/f(よく理解していませんが)みたいな感じでしょうか。その「ゆらぎ」の部分を聴くと、うっとりと陶酔した気分になってしまいます。

  大瀧詠一のゆらぎのあるメロディ(その4)_a0285828_11491688.jpg松田聖子の歌った「風立ちぬ」にも「ゆらぎ」は何カ所か入っています。でも、自分で歌ってみてわかるのですが、「ゆらぎ」の部分は(人に聴かせられるレベルで)歌うのが、とても難しい。
あれだけ歌を歌うことに関しては天才的とも言われた松田聖子も「風立ちぬ」だけは歌うのが難しくて相当悩んだという有名な話があります。確かその時期、松田聖子はのどを痛めて声があまり出なくなっていました(のどを痛めたのは「風立ちぬ」だけが原因ではなかったと思いますが)。
もちろん難しかったのは曲の他の部分にもあっただろうと思いますが、特にその「ゆらぎ」の部分を本人が、あるいはスーパーバイザーとしてレコーディングの場にいた大瀧さんが納得できる形で歌えなかったのだろうと思っています。
そこの部分をうまく歌えるかどうかで、曲の深み、情感は全く違ってきます。ですからYouTubeなどで素人が大瀧さんの曲を歌っているのをたまに聴いたりすると、「ゆらぎ」の部分でたいてい失望することになります。

さて、そんな大瀧さん独自のものだと考えていたのと、まさに同様の「ゆらぎ」を、平野愛子が歌った「港の見える丘」と「君待てども」に聴き取ることができたのでした。大瀧さんが下敷きにしたといったような言葉で語られるものではなく、もっと深い部分にある根源的な何かを見たような気がしました。

と、書きつつ、僕はその「ゆらぎ」が一体メロディのどの部分なのかを示していません。もしかしたら、ああ、あの部分だなと、ピンと来る人もいるかもしれません。それに関しては、また明日にでも。
by hinaseno | 2012-09-30 11:49 | 音楽 | Comments(0)